
Rossa コンセプトカーのデザイナー
最初に Art Center の広報部と連絡を取ったときに大量の資料が送られてきたが、その中で僕の興味をいち早く引いたのはピニンファリーナ社がフェラーリのためにデザインしたコンセプトカー Rossa だ。この車は、2000 年のベスト・コンセプト・カー賞を受賞。これも卒業生がデザインした車か、と思っていたらもっと驚かされた。確かに卒業生のデザインだが、デザイナーは、ピニンファリーナでチーフ・デザイナーの地位まで駆け登り現在、 Art Center 初の外国生まれの学部長を勤めている。しかも日本人・・・
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(**)とにかく美しいラインだ。メカは 550 Maranello を利用して同じホイールベースとトラック。
もっとこの車を眺めたい方は、Vividlink を参照して下さい。
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デザインに国境はない?
え?!日本人?まさか。この芸術たる美しいコンセプトカーが日本人によってデザインされたとは考えられない。きっとアメリカ生まれの日系人に違いない、と決め付けてしまった。でもプロフィールを読むと武蔵野美術大学卒業の奥山清行氏と書いてある。どう考えても日本人だ。ヨーロッパのデザイン・スタジオ、しかも世界的に有名なでピニンファリーナでフェラーリのコンセプトカーのデザイン担当者は彫り深い顔つきのイタリア人とイメージしていた。僕の偏見がいけない。やっぱりゴルフ好きな日本人サラリーマンとの付合いが多すぎるのかな?今になって反省しているが、読者の皆さんも Rossa の写真だけを見て、そのデザイナーの人種を想像して見てください。ヨーロッパ人が真先に思い浮かぶでしょう。アジア人、まして日本人が頭の中に浮かぶとは思えない。
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どの角度から見てもカッコイイ。前輪の後ろから
後輪までの流れるラインに見とれてしまう。
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とてもフレンドリー
それはさて置き、奥山氏の経歴に驚かされ、どのような人物かと勝手に想像し始めてしまった。学生時代に会ったことある学部長は固い性格で親しみにくかった人ばっかり。こんな人かな?礼儀正しい日本語で接しないと気を悪くしてしまう御エライさんかな?こんな思いから会う前は結構緊張してしまった。広報部のティーディさんと英語で話していたのでそのまま話し、英語が下手だったら日本語に切り替える作戦を練った。大学卒業まで日本にいられたので英語が苦手でも当り前と思った。
挨拶する前から奥山氏のオーラにホットさせられ、緊張が吹っ飛んだ。人それぞれの雰囲気があるが、彼の場合は、「フレンドリー」、「紳士的」でも「居酒屋で一杯やりたいね」等が浮かぶ親しみやすい方である。昼食を採りながら短時間のインタビューかと思っていたら「せっかくだから一緒にランチを、後でゆっくりはなそう」、とやさしい。談話の内容をメモろうとしたら、ちょっと様子が・・・「彼、インタビューされると何時も緊張するんです」、とティーディさんが援護。カワイイ性格と言っては失礼だが他に良い様が無い。緊張するのは僕でしょう?
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先駆者と呼ぶしかない
「いま乗っている車は、同級生がデザインした Audi TT。でも乗るたびにデザインのこの部分をこうするべきとか言ってますよ。」(笑) やっぱり一流デザイナーの考えることは違う。未知の業界・業種なのでキャリアの話しを伺うことにした。
「日本の大学では、典型的な学生生活を送りスキーやサーフィンばっかり。卒業してロスで一年間英語を学び、そして Art Center に通いながらバイトをしてました。」そのスケジュールを聞くと通常より多く授業を受けている。生徒の話しによれば宿題やクラス・プロジェクトで大変そうだったはずだが・・・と考えていたら広報部の担当者が「それは想像以上に辛い毎日だったのではないですか?」と聞いた。「まー、何とかなったからね」と気軽な回答。僕は、広報部の方と目が合い一緒に唖然としてしまった。
卒業後は、デトロイトの GM に雇われ 1980 年代後半にキャリアーが本格的に始まったそうだ。皆さん覚えているでしょうか? この時期は、日本車の売れ行きが良すぎてアメリカのメーカーは、工場閉鎖や人員削減を繰り返していたころでジャパン・バッシングの真っ盛りです。僕は、ロスに住んでいたがテレビ・ニュースで今でもはっきり覚えているのは、全米自動車労働組合(UAW)の労働者がバットで怒りを日本車にぶつけていたイメージである。アジア人が多いロスだから住んでいても恐くなかったが、デトロイトでは韓国人が日本人と間違えられ殺されたこともあった。さすがに奥山氏もデトロイトでの生活は辛かったと言う。職場で遅くまで残業していたら警備員に産業スパイと思われ強引にビルから追い出された事もあるらしい。こんな状況にもかかわらず仕事の内容が良くGMでの経験は非常に良かったと心から思われている。GM 初の外国生まれのデザイナーの勇気ある体験だったのであろう。
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(***)リン先生(左)と奥山先生 (右)。
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ポルシェのプロジェクトに参加
いずれ親友から推薦され、ポルシェで 911 のデザイン・プログラムに参加。これも驚くことに推薦してくれたのはポルシェ・ボクスターのデザイナーである。プロ野球選手が知合い同士のようにカーデザイナーも友達同士で意外と狭い世界のようである。「GM では良くして頂いてたしハッピーだったので面接だけにしようと思ったが、ポルシェで働くのは昔からの夢で本社ビル前に参列するポルシェを見て直ぐ決心してしまった。GM のボスに相談したら戻ってきたかったら何時でも歓迎する、と言われドイツ移った。」
このプロジェクトが終わってから GM に戻り、同社では合計約10年いたそうである。「デザイン・チーム形式の作業で自分のデザインと言える車がない。自分のデザインした車が欲しい、とのわがままからピニンファリーナに転職しました。私の希望で一番下のデザイナーで入り、一年強働いてましたが退社した時にはチーフ・デザイナーでした。」夢のような職をなぜ辞めたのか、と聞くとその答えは単純。「やりたいことを全てやったから。」また、唖然としてしまった。奥山氏は、ピニンファリーナを離れる前に 3 台のフェラーリと 1 台のマセラティのデザインを完成したらしく、いずれも今後 3 - 4 年後には生産される見込。しかもフェラーリのセダンをデザインした、と僕は聞いた・・・確かにメモっている。これってもしかしてスクープ?
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