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本サイトO倉によるささやかなボランティア報告

今回、本サイト編集部の新人O倉は、自ら判断し、岩手県田野畑村でささやかながらボランティア活動をしてきた。ここではつたないながらもその報告をさせていただきます。

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CIMG0650_thumb.jpg山田町の被災車置き場にて

 

DSCF2471_thumb.jpg三陸随一とも言われる北山崎。この美しい海が時として人に牙を剥くCIMG0621_thumb.jpg津波にさらわれたであろう商用車。見る影もないCIMG0610_thumb.jpgCIMG0600_thumb.jpg津波によって折れてしまったショベルカーのアーム。津波の威力を改めて感じさせるCIMG0605_thumb.jpg上の写真の本体。20m以上離れているCIMG0607_thumb.jpgホームへ通じるはずの階段。ホームごと流されてしまったというCIMG0617_thumb.jpg島越(しまのこし)を見渡す。この一帯に商店や住居が建ち並んでいたDSCF2507_thumb.jpg高架線路脇の住宅は津波をかろうじて逃れた。まさに紙一重と言ったところか

未だ残る震災の爪痕

 まずはこの震災で亡くなられた方へのご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げます。また一刻も早い復興を祈るとともに、我々Vivid Car編集部も陰ながらお力添えをさせていただければと思っています。

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 今回の震災で一番の被害をもたらした、津波。テレビ、新聞、インターネットなど様々な媒体でその威力を目の当たりにしてきた。今回その津波被害の現状と現実を取材してきた。

 今回向かった先は岩手県田野畑村。三陸のリアス式海岸と背後にそびえる北上山地を有する岩手県の北部の町で、人口は約4200名。農業、漁業を生業とする静かでのどかな村であった。その村での生活を変えた今回の東日本大震災。村の被害は、罹災戸数582戸(内住居 267戸)、死者・行方不明者40名、800名を超える住人の方が避難されている。
 村の被害で大きかったのが、やはり津波被害である。リアス式海岸は津波の威力を増幅させ人々の住む街へと襲いかかる。明治、昭和と続いた大津波の経験を活かし、古くからの住人は高台へと住居を移すなど津波に対しての対策を施してはいたが、決して少なくない人々が被害に遭われた。この津波では人的被害、住宅への被害の他に、生業であった漁船、番屋と呼ばれる漁師小屋、みやげ物屋を奪われ産業的にも大きな被害を受けている。

 まず街に入って気づくのは、腐った海の匂いとでも表現するのだろうか、鼻を突く異臭である。2ヶ月も経とうかというのに、この匂いは未だに残っている。そして目に入るのはかつて人が住んでいたであろう街の残骸と、荒れ果てた土地だけだ。ここがかつて街であったという名残は、わずかに残る家の基礎と道路だけなのである。私はこの土地の震災前の姿を知る者ではないが、この惨状を目にしたら言葉を失ってしまう。この村の人々は海と共に生きてきたが、その人々の生活を奪ったのもまた海なのである。そして海はまた静かに美しく佇んでいる。
 かつての駅舎はすべて押し流され、ホームへと続く階段が残されるのみで、高架線路も津波によってなぎ倒されてしまっている。取り残された碑が以前のまま静かに立つのみである。比較的早く瓦礫の撤去作業が始まっていた為か、あたりには大きな残骸は少ない。それがかえってこの津波の無惨さを引き立てている。
 港に丁度陸揚げされた被災車が残されていた。津波の引き潮で海へとながされたのか、あちこちに砂が入り込み、また激しく衝撃を受けた車体は最早原形をとどめていない。ルーフは押しつぶされ、ボディはひしゃげ、ラジエータは波打っている。グシャグシャに押しつぶされ、たださらされるままにさらされているのである。クルマ好きでなくともこの光景は心をえぐられるであろう。

 

CIMG0629_thumb.jpg国道45号線沿いの光景。「解体OK」とのペイントが見えるCIMG0631_thumb.jpg同じく国道45号線沿いの光景CIMG0633_thumb.jpg被災した三菱自動車の販売店。数百メートル離れた場所に、ラリーアート仕様の車両が流されていたCIMG0636_thumb.jpg陸中山田駅の駅舎内。散乱した物が震災当時の状況を物語るCIMG0639_thumb.jpg同じく陸中山田駅ホーム。この震災で三陸鉄道は各所を分断され大きな被害を被ったというCIMG0645_2_thumb.jpg陸中山田駅前のロータリーに植えられた木。3/12夜明け前に起きた火災により真っ黒く焼けこげているCIMG0654_thumb.jpgロータリーにあったスーパーマーケット。火災によって全焼しているCIMG0646_thumb.jpgCIMG0643_thumb.jpgロータリーより街を臨むCIMG0641_thumb.jpgCIMG0642_thumb.jpg集められた被災車達。津波によって押し流され、見るも無惨な姿に変わり果てているCIMG0649_thumb.jpgCIMG0653_thumb.jpgCIMG0666_thumb.jpgガレキの山。上に乗った重機からこの山の大きさが判別できる。これがいくつも積み上げられている

震災からの再生へ

 次に向かったのは田野畑村の宮古市を挟んで南にある山田町である。山田町は人口18,600人、やはりリアス式海岸の奥に港を持ち、その背後に街の中心を持つ、漁業と養殖業を生業とする街である。この山田町の被害は田野畑村よりも大きく、罹災戸数が約3,000戸、死者581名、安否不明者378名、避難者数は3,849名にのぼる。被災者数が町の人口の1/4、罹災戸数に至っては町の半数にもなるという。

 山田町では津波被害だけでなく、3/12の夜明け前に起きた火災により駅を含んだ中心街が焼け野原となった。瓦礫は撤去されつつあるものの収集作業が間に合っておらず、まだまだ町の中には震災の残骸が残っている。そして収集場は瓦礫で溢れかえり、高さにして10mはあろうかという山になっていた。
 散乱した駅舎の中からは被災当時の被害の深刻さを改めて実感させられる。ロータリーには焼けこげた木が植わっており、かつては人々の目を和ませたであろうその姿も、今となってはただただ不気味にそびえるだけなのである。そこから広がる光景は想像を絶する。街が一つ焼け落ちたのだ。かつて人でにぎわったであろう商店街も、暖かい家庭があったはずの住宅も、すべて灰燼に成り果てている。たびたびメディアを通して見てきた光景ではあるが、実際に目の当たりにするともう何も考えられなくなってしまう。これが私の住む街に起きたらと考えると、もう他人事ではなくなってしまうのだ。
 ロータリーを脇に入った空き地に被災車が集められていた。ファミリーカーからスポーツカーまでありとあらゆるクルマが津波によって押し流されている。こういったクルマ達が街の至る所に取り残されている。これらのクルマ達はいずれスクラップとなる運命だが、それすら間に合わず、野ざらしにされている。人々が愛を込めて手を入れたクルマ達がその無惨な姿をさらしているのみなのである。

 その一方で街では復興の動きが震災直後より着々と進められている。山田町が中心となってボランティアセンターを開設。全国各地より、個人、団体のボランティアが集まり復興作業を進めている。B&G海洋センターをボランティアセンター本部とし、4/9の開設よりこれまでに431件、延べ人数にして2,789名ものボランティアが復興のため力を尽くしてきた。この日も静岡県からの団体でのボランティアが到着し作業にあたっており、多くの人々が山田町の、ひいては東北の、震災からの復興を信じて汗を流している。
 ボランティア活動の実績、参加の詳細については山田町災害ボランティアセンターのホームページにて知ることが出来る。(http://videog.jp/view.php?yamada&nowPage=1&PHPSESSID=58e01ee06a83606632af86d2fcb7a486)なお個人でのボランティア活動は受け付けていないとのことだ。参加の際はお近くの社会福祉協議会、NPO団体まで問合せをしてほしい。直接の訪問、問合せは現地業務の妨げとなってしまう事もある為、なるべくなら控えてほしい。


 この震災は他人事ではない。ましてや他国で起きた事でもない。東京からクルマで約10時間。近いとは言えないが、決して遠くない人々が、今この時も災害に苦しんでいるのだ。それを一人でも多くの人が心に留め、被災した方々に本当に役立つ事をしてくれる事を願う。そして一刻も早い復興を願う。

 

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