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レトロモビル2015にブルー・トレイン現る!

パリのクラシック・カー・ショウに、伝説の男の伝説のベントレーが展示中

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クラシック・カーの祭典「レトロモビル」が今年は2月4日から8日まで、パリのポルト・ド・ヴェルサイユで開かれている。そこで話題になっている(はずの)1台が、1930年5月初登録のベントレー・スピード・シックス “ブルー・トレイン”である。

Blue_Train_Savoy.jpgロンドンのサヴォイの前にて

ウールフ・バーナート

1920〜30年代、ベントレーがレースで暴れまわっていた時代のドライバーたちを「ベントレー・ボーイズ」と呼んだ。彼らはアマチュアのいわゆるジェントマン・ドライバーで、命知らずでお金持ち、プレイボーイで、大衆紙の一面を飾る当時のセレブリティだった。

その代表格が、ウールフ・バーナートWoolf Barnatoである。彼はベントレーのチェアマンをつとめ、経営者というよりはパトロンとしてこの稀有な自動車メーカーを支え、ドライバーとしてはル・マン24時間レースで3度の勝利を収めて、その名声を高めた。

バーナートはカンヌのカールトン・ホテル滞在中、ゴルフ仲間の友人と賭けをした。それは、特急列車ブルー・トレイン号がカンヌからカレーに到着する前に、ロンドンのクラブにいる、というものだった。クラブというのはメンズ・クラブのことで、当時のイギリス紳士は所属するクラブに、日本の高校生が部活の部室に入り浸る以上に、ほとんどそこで生活していた。カレーはもちろん、英仏海峡のフランス側の都市のことだから、勝てるはずのない、絶対的に不利な条件だった。

レースの日、17時54分にブルー・トレイン号が出発した、と聞くと、バーナートはカールトン・ホテルでドリンク(なんだったかは定かではないけれど、シャンペンとかカクテルとか、だったのでしょう)を切り上げた。あらかじめルートにあるガソリン・スタンド数軒に夜通し店を開けておくように頼んであった。パリの近くで彼はパンクに見舞われた。それでも、彼は翌日の15時30分をヴィクトリア駅の時計が指したときに、ロンドンはセント・ジェームズにあるコンサーヴァティヴ・クラブでカンパイしていた。それはブルー・トレイン号がカレーに到着する4分前のことだった。



 

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平均速度およそ70km/h!

ミシュランの地図によると、カンヌからロンドンまではおよそ1400km弱。現代でも14時間弱かかる、とミシュランは計算する。それをバーナートは85年前のクルマで、16時間と少々、平均速度43.43mph(およそ69.9km/h)で駆け抜けた。スピード・シックスの6.6リッター直列6気筒4バルヴ・エンジンは180bhpを発揮し、最高速度は100mph(160.9km/h)に達したとはいえ、高速道路ができる前の話である。不眠不休で、鬼神のごとく、飛ばしに飛ばしたに違いない。

賭けに勝ったバーナートは、友人から100ポンドを手に入れた。フランスの自動車クラブからは、非公認のレースを国内で行った、ということで罰金200ポンドを課された。

このとき、バーナートがドライブしたクルマが、ベントレー・スピード・シックス、車台番号HM2855である。コーチビルダーのガーニー・ナッティングが製作したワンオフのクーペ・ボディで、ブルー・トレインの愛称で呼ばれる。

じつは近年の研究によって、バーナートが特急ブルー・トレイン号に勝ったクルマは、彼が所有していた別のスピード・シックス、マリナーのサルーン・ボディだったのでは? ということが言われ始めた。有名なエピソードなのに、写真が残っていないらしい。あくまで私的な賭けレースだったのだから、それも致し方ない、ということか。

いずれにせよ、バーナートがブルー・トレインと呼ばれてきたこのスピード・シックスを発注し、1930年5月に初登録したことは事実で、このクルマが「ブルー・トレイン」と呼ばれるにふさしい魅力を持っていることも疑いがないだろう。

ちなみに、スピード・シックスは当時の価格で、シャシーだけで1800ポンドだった。これが現代の日本円に換算するといくらになるのか? 「This is MONEY」というサイトでインフレ計算してみると、9万9655.74ポンドと出た。これを現在の為替レートに当てはめると、1778万7567円になる。およそ1800万円。現代のコンティネンタルGTよりも安いのだからリーズナブルとも言えるけれど、ボディは別注です。スピード・シックスは1929年から30年までに182台がつくられた。