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tab_star2005/07/23tab_end編集部より
VividCar 新編集長のご紹介
創刊4周年を迎えた2004年、新世代VividCarを企画し牽引できる人物を捜し始めた。一般的な雑誌編集長とは違い、未知との遭遇を恐れずに行動力溢れる人を候補とした。これまでの人脈から色々な人が候補となり、アプローチもしたがようやくバトンを渡せる日がやってきた。

津島健太氏は、ルマン 24 時間レースのインターネット中継プロジェクトでジャーナリストとして数年いっしょに活動したことがあり、その人物的行動力を良く知るところであった。彼と数ヶ月議論することで、彼なりの新世代 VividCar の構想がまとまってきて、ここに編集長を交替することになった。彼をご紹介し、これまでの VividCar がどんな思いで作られてきたかを回想してみた。
文・写真=永山辰巳(VividCar.com)
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永山辰巳icon_home永山辰巳
[VividCar 元編集長]
2006年、VividCarはプロフェッショナルなブロガーを目指します。創刊以来5年を迎え、ちまたのブログサイトとは一線を画するVividCarは、ネットワーク知識編纂をビジョンに確実にコンテンツを増やしながら未来のWebBookメディアを開発してきました。私たちはこれをWebフォトジャーナルシステム呼びます。生涯にわたり記録し続け知識を編纂する楽しみをごいっしょに。
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津島健太
1997 年のルマンプロジェクトでのプロジェクトルーム(トレーラーハウスだが)でのワンシーン。ここで私と津島氏と高橋氏の三人でそれぞれが担当するルマンの記事をインターネットに配信し続けた。
ルマン 24 時間レースでの出会い

津島氏との出会いは、ルマン 24 時間レースをインターネットで中継しようと始まったルマンインターネットプロジェクト 1997 年で知り合った。ルマンインターネットプロジェクトは、1995 年から始まった日仏混合チームで企業、大学、民間から幅広く集まったインターネットスペシャリストでレース期間中の一週間結成された。私はそのチームの監督として 1995 年から 1997 年までを現場で指揮してきた。当時を振り返ると、言葉の壁もさることながら、総勢 30 名を超えるチームが、一週間寝起きを共にして体力の限界まで精神的に追いつめられて仕事すると次から次へと難問、事件が起こったものだった。

津島氏は、1995 年、1996 年、1997 年とジャーナリストとして参加して頂けた高橋二郎氏から紹介を受けて、1997 年に参加をしてくれた。実は、知り合ってから私と縁のある人だということも判り、その後も長く交友が続くこととなった。

ルマン24時間
ルマンのレース会場でのパネル新聞

あのころのルマン

ルマンを題材としたインターネットジャーナル作りの事を書いておきたい。まだまだすべてを話す時期ではないが、当時は、テレビ中継との違いやメディアとしてのインターネットの進化を考えていた。自動車会社にいた自動車の好きな、モータースポーツの好きな人間がルマン 24 時間自動車レースに興味を示すことは、まことにストレートな話で、1995 年ルマンに行けることになったときは、ただ一目この目でルマンを走るレースカーを見たいという欲求だった。

もちろん、すでに Web サイトにより情報発信の可能性を模索し構築していた私は、現場にデジタルカメラとパソコン、そしてインターネット回線があれば、テレビ中継とは違った新たな可能性を持ったインターネットメディアとして情報発信ができるだろうと考えていた。インターネットジャーナリズムについて、高橋氏、津島氏と議論しながらもルマンという素材を通しての実験、経験、そして、未来を考えることがその後の 10 年あまりを意識付けることになるのである。

当時、津島氏は、ルマンの会場に広がる様々な音源に注目して、映像のない世界、サウンドクリエーションにトライしたいと映像チームとはコンセプトを異にして彼なりのルマンコンテンツを残してくれた。その時のコンテンツは今でも読み出すことが出来る(右側のナビゲーションからクリック!)。

ルマン1995
1995年、私自身がUnixの上でhtmlを書いて書いて書きまくってできたWebサイト。多くの人たちの協力があって成し遂げることができた。

1995 年、つまり10 年前

 1995 年、歴史的なイベントであるルマン 24 時間レースをインターネットで中継しようという試みは、日仏の大学が中心となり、日本企業とレース主催者であるSEMの共同実験となった。映像配信権など多くのビジネス上の問題を棚上げにして、主催者が限定的ではあったが、インターネットも新たなビジネスチャンスと捉えてくれて、詳細な実験レポートとノウハウをフランスの大学側に残すことで許可を与えてくれた。

 その年は、ライターとして高橋二郎氏を連れて後はすべて技術スタッフで挑んだ。写真は、私がニコンのデジタルカメラを使い付け焼き刃のカメラマンとして撮影に奔走した。撮影後スタッフルームに戻り、パソコン上でラッシュを高橋氏が閲覧して、欲しい写真を選ぶ。それを私がフォトショップで加工して、html に組み込み高橋氏の記事があがるとテキストをはめ込みページを完成させ、Web にアップした。

 その時、高橋氏は、自分の長年のレースライターとして経験からして驚くことが起こっていると証してくれた。彼が言うに、「ライターとカメラマンが、レースの現場で仕事をすることはない。帰国し、カメラマンは膨大なフィルムを現像し、選別し、そして編集部で始めて写真を見ることになる。だから、ライターは、こんな写真があればと思って書くことはあるが、写真を前提には書けない。ところがどうだろう。レース上の現場で、膨大な写真をパソコン上でみれるなんて。これなら書くことはまるで違うし、伝えることはいっぱいある。」

 帰国の飛行機の中であれこれ考えてみたが、来年は、ライター 2 名とプロのカメラマン 2 名でトライしてみようと。そこから、インターネット時代の新しいメディア、フォトジャーナルシステムをはじめてみるのだと。

PJSスタッフ
カメラマンの四宮氏、日比野氏、ライターの御堀氏、高橋氏

インターネットジャーナル

1996 年、前年の経験を十分に生かすべく、フォトジャーナルシステムをプロジェクトチームで実施してみることにした。4 人のスペシャリストを結び、全世界に配信するインターネットジャーナルを実験してみたのである。

二人のカメラマンは、最新のキヤノンのデジタルカメラを用いて、一日に千枚近く撮影することになる。二人のライターは、膨大な写真から記事が先行している場合は、記事にあう写真を選び、素晴らしい写真を見つけると、その写真の解説を書くこととなった。それらのすべての作業をコンピュータ上で支援し、有機的に結びつけ、最短で Web サイトの記載するのが私の役目だった。

この実験を通じて、将来インターネットがどのようなメディアとして成長するか、いくつかの仮説をたててみた。ひとつにデジタルカメラが、数万円で世界中の人々に愛用されたら、さらに、だれもが簡単にWeb を作れたり、私的な情報発信を行うことの価値観が創出されたりしたら?。VividCarの読者ならお分かりのように、10 年後世界はそのような現実に遭遇しているのである。

しかしである。商業印刷 100 年の歴史を持つ、出版業界というプロの集団と、ブログやコミュニティーサイトで活躍する私的情報発信の狭間には何が横たわっているのであろうか?VividCar はそのような狭間が生まれることを見越して作られて、伝統的な出版世界と私的情報発信の世界をつないでいく、情報の記述体系を模索するポータルサイトとしてのあり方を模索してきたのである。

PJSスタッフ
1997年、ルマンに向かうハイウエイでの一コマ。
黄色いジャンパーが津島氏。手前は高橋氏。

VividCar の将来

さて、新編集長の津島氏とどんな話をしてきたかというと、1996 年、津島氏はすでに構想として完成していたデジタルフォトジャーナルシステムに参加してもらい、私が描く未来のジャーナルシステムを体験して頂き、クリエーションの新しい時代へと一歩進んで貰った。そのことをほぼ 8 年経過した今、当時を振り返って共有できたこと、その後のインターネット時代を通じて、津島氏の考えはどう変わってきたかを議論した。

VividCar のコンセプトは、ブログではない記述様式の体系化である。ここでブログではないということがどれだけの自負心があるかというと、ブログというブーム、社会現象を 1996 年当時私は見抜いたからであり、結果的にブログとなっている私の記録がそれを証明している(1995 年、96 年、97 年の記録がまさにそれである)。その上で、ブログの集合や私的情報発信をどのように価値化し人類の記憶として体系化する手法を見つけることができれば、リアルタイムパブリッシングとしての位置づけを商業的に極めることができるからだ。

VividCar は 2001 年バナー広告のないサイトとして生まれ、当時はなぜ成立しているサイトかと訊ねられたものだが、基本は月刊誌と同じブランド広告媒体としての成立を狙っていた。現在でもそのアプローチは、収益の一つとして存在しているが、狙いはシステムにある。ブログが流行した現在、Web システムがいかに重要か、ある時はハッキングを通じて社会的な問題になったり、企業が社内システムとしてブログを取り入れたりすることで、認知が広まっている。そうした装置として VividCar を構成しているシステムの源流こそが我々のビジネスであるが、まだまだコンテンツの発達が望まれるのである。津島新編集長には、さらに斬新なコンテンツの開発を目指して、そして、何千人もの VividCar ライターが生まれるまで、そこに彼の夢を託して頑張って欲しい。

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1997年ルマン24時間レース
1997年ルマン24時間レース中継プロジェクト
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津島氏のルマンコンテンツ
1997年ルマン24時間レース
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1997年ルマンのプロジェクトノート
1996年ルマン24時間レース
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