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tab_star2006/01/22tab_end編集部より
あの日神戸で考えた
KOBE 1.17
1 月 17 日、阪神大震災から 11 年を迎えた。この日、国会では耐震偽装問題の証人喚問が行われ、黙とうをした後、「地震が起こってから公にできないのか」と言っていたという証人は「刑事訴追」を恐れて拒否し続けた。この人は、あの日どこにいたのだろう。
◆◇◆

・・・1995 年。地震から 10 日以上過ぎた時、僕はようやくリュックを背負って神戸に入った。何ができるかもわからなかったけれど。

文:津島健太(VividCar.com 編集長)
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tsushima-SS.jpgicon_home津島健太
[VividCar 元編集長・フリーライター]
現在は「港未来シンジケート」代表としてのインディーズレーベルやイベントプロデュース業と平行して、JMS日本モータースポーツ記者会、ナンバー付きVITZレース1000c.c.CUP 代表、vivid car .com 編集長、作詞家、旅のライター等々イカゲソ並みの数の鞋をはいている。
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阪神大震災

なんだこれは

 僕はその日の朝、当時住んでいた大崎の自宅で目を覚ました。その頃神戸は、 KISS FM KOBE の番組を開局以来製作していた関係で月に 5 〜 6 日は定期的に滞在していた。 TV のニュースをつけ、まずはただ愕然とし、つながらない電話をかけつづけた。そして数日は、 TV から発信される映像を見ることしかできなかった。

 4 〜 5 日経って、放送局では家族のいるスタッフも、家を出て毎日泊まり込んで安否情報を流し続けているとのこと。局の建物はメリケンパークの桟橋の上(ポートタワーの隣)に立っていて、桟橋の一部が崩れている関係で地面の 1/4 が海の上の宙に浮いた状態。避難命令が出ているが皆とどまって頑張っているという。被災者への救援物資が徐々に届きはじめてはいるが、人の住んでいない地域の放送局や企業には何も届かない。水、食糧、なんでも欲しい。救援物資の郵送受付けが郵便局ではじまったと聞き、アシスタントを引き連れてスーパーで買い出し。水、食糧、カセットコンロ、薬から下着、生理用品にいたるまで、とにかくアシスタントと一緒に何度もカゴの中を一杯にしては車に運び、荷づくりして郵便局の物資窓口へ。

「水は送れませんよ。」
「 ?? 」
「水は 1 本 1.5 リッターのペットボトルって決まってるんですよねー。」

 送ろうとしたのは2リッターだったが、箱で買っているため、特にかさばるわけでもない。

「普通の段ボールが送れて、なんで水がだめなんですか ? 」
「だから水は 1 本につき 1.5 リッターのボトルって決まったんですよ。理由は知らないんですけど、ここにそう書いてあるんだからウチの郵便局のせいじゃないですよ。送ってもいいですけど送り返されてきても知りませんよ」
「ふざけるな !! 神戸の人を前に送り返せるものなら送り返してみろ !! 」

 一体どうなってるんだ、この国は。

阪神大震災

 TV は連日神戸の状況を伝えている。無力だ、無力か ? 何をした ?
 電車の状況が大阪からよりも岡山からの方が町に近付けると知り、明石方面から神戸に向かって歩き始める。途中、火災のもっともひどかった長田の町を通る。あまりの惨状に「なんなんだ、これは」としか言葉が浮ばない。

 僕が神戸に滞在したのは、ほんの 2 週間程度。その後何年も大変な思いをされた地元の人や、その時知り合ったボランティアの人たちからするとただの通行人程度。仕事の都合と言えばそれまでだ。きちんとしたボランティアチームに入るには、ローテーションを組んでもらっても仕事を覚えるだけの滞在で、かえって迷惑がかかる自分にいら立ちを感じながら、「何かお手伝いすることはありますか ? 」とその日その日でいろいろな人に声をかけていった。夜は KISS FM でお手伝い。そう、ボランティアというよりもお手伝い。そんな自分が今まで震災やボランティアを語る資格はないし語ったことはない。ただ、今年はあくまでも個人的に見聞きして感じたことを、箇条書きでも良いから伝えたいと思った。確かにあの時から自分の中で変わったものがある。

人の強さ

 あの時、神戸にいた人なら誰もが感じたことは、人の強さだろう。
 何時間か歩いて、まず KISS FM に辿り着いた時、話の通りビルの立っていた桟橋は崩れ、真っ黒な海の上にビルの一部が浮いている。立ち入り禁止のロープをまたぎ 3 階のフロアまで階段を上がると、煌々と照らされた灯りの中で放送局のスタッフがいつもと変わらない活気に満ちた仕事をしている。どんな顔をすれば良いのかとまどって、中に入るのを躊躇していた。スタッフが僕を見つけると、笑顔、笑顔。

「津島さんが送ってくれた女性用の下着、みんなで奪いあって久しぶりに大笑いしましたよー。でもどんな顔して買ったのか想像したらもっと笑えました。」
「カセットコンロ届きましたよ。久しぶりに暖かいもの食べました。」

良かった。来て良かった。みんな無事で良かった。自分の家も全壊や半壊、ドアが空かずに手当たり次第の物で叩き割って脱出した。そんな話を聞かされるにつけ、被災した家族を残して絶対放送を止めずに不眠不休で安否情報や災害情報を流し続けているみんなはすごい。本当にすごいプロだよ。

阪神大震災

 KISS FM で仕事のローテーションに加わり、あいている時間は町に出た。長田の焼跡。つらい話をたくさん聞いた。自衛隊のショベルカーが来る前に見つけたいと言う大切な思い出の品を一緒に探した。肉片、白骨、すべて尊い大切なもの。本当につらい時、あまり涙は出ないものだと知った。それでもそんな時にも皆ちょっとした時の笑顔は忘れない。疲れきっていた町会長さんは数カ月後に亡くなったと再度訪れた時に聞いた。

 人間の体も強い。トイレがない環境ではトイレにほとんど行きたくなくなる。食事がない環境ではお腹がすかない。風呂がない環境では頭もかゆくならない。三ノ宮や元町では炊き出しが行われていて、食べていけと誘ってくれる。「いや、僕は外から来た人間ですから、皆さんで食べてください」と遠慮する。それでも「何ゆーてんの、縁もゆかりもないのに全国からボランティアさんが来てくれて。食べてって。」と笑顔で声をかけてくれる。気がつけば 1 日おにぎり 1 個もあれば十分な体になっている。たかだか 2 週間だから、ということもわかっているが人間の体の適応能力に変に感心。心遣いにとても感動。

 平らな路面はほとんどなく空気は崩れたビルや壊れた路面から出る埃に満ちている。 10 日もすると町のいたる所に、ゴミや煙草の吸い殻がたまる。「これ以上大好きな神戸の町を汚すのはやめよう。」と、交差点で声を上げごみ拾いをしている子供たちに遭遇。この子たちも心が傷ついているはずだ。すごい。

 神戸と僕が育った横浜は似ていると思っていた。ただ港町ということだけではなく、住んでいる人は町が単に好きという以上にプライドを持っている。東京や大阪に対する見方も似ている。「この地震が大阪だったら、震災以上にその後が大変な事になっていたと思う。」と言う神戸の人の声を何度も聞いた。その通りだと思った。
 無力な自分は、毎日ただ神戸の人の強さに力をもらい続けるだけだった。

阪神大震災

人の弱さ

 KISS FM でのお手伝いは、全国のミュージシャン、著名人から大量に送られてくる応援メッセージの編集作業。 FM 局とはいえ、まだ音楽を流す状況ではなかった。自分自身、音楽に埋もれて日々生活していたのに、音楽を聞きたいという気持ちは全く無くなっていた。音楽で人を元気にできるのは、もっと余裕のある時だと知った。町で全く聞こえないわけではなかった。ただ耳に入る音楽は雑音にしか聞こえなかった。それよりも大切なものがあるだろう。それは音楽の仕事をしていた人間にとってある意味ショッキングなことだ。音楽は人を救えないのか。 FM 局で働いている人間でも誰も音楽を流そうとはしなかった。そんな気分になれないことは共通していた。

 いろいろなミュージシャンから送られてくるテープは、その半分以上はカットしなければ放送できないものだった。歌詞の中で若者にメッセージを送っているオピニオンリーダー的なロックミュージシャンほど、本当に不快感を感じた。

「もうすぐ大阪にコンサートに行くから、瓦礫を乗り越えて来てください。必ず元気にしてあげるから。」何を勘違いしているんだろうか。

 一番多かったのは、

「私(僕)にできることは音楽しかないけれど、私(僕)の歌を聞いて元気にがんばってください。(曲紹介)」

という言葉。この編集作業の経験は、僕の中で音楽の仕事に対する情熱を、かなり長い期間冷ますきっかけとなった。自分にできることが音楽しかない。 8 割以上の人間がそう言い切ってしまう日本のミュージシャンの世界って、なんという思い上がった世界なんだろう。自分にできることは車を売ることしかないって、ここに車を売りに来ている人間がいるのか ? 音楽以前に人、あなたたちは人間じゃないのか ? なんでも人としてできることがあるだろう ! 印税を寄付する方が人としてまだ救われる。だから音楽は人を救えなくなるんだ。

 そんな事を考えて毎日編集をしていると携帯が鳴った。某著名バンドが所属する事務所の社長。ハワイでレコーディングをしていると言う。

「事務所に電話したら神戸にいるんだってー。えらい、えらすぎる。ところでウチの××も何かできないかって言ってて、どこか神戸でチャリティライブできないかなあ。実費以外は寄付してもいいと思ってるんだよ。ホール使えなくても空き地いっぱいあるんだったら野外でもいいんじゃない。イベンターつかまらないから地元と話つけて仕込んでくんない ? ギャラ払うから。」

思わず罵倒してしまいそうな気持ちを飲み込んで、電話を切った。

 そんな中、 SMAP の中居さんは最高だった。彼は仕事の都合で神戸にすぐに行けないことを詫び、今すぐ行きたいけれど仲間やお世話になっている人に迷惑をかけることを詫び、でも次の休みに必ず行くからと約束し、ひたすら「ごめんね」「すぐに手伝いに行けなくてごめんね」と何度もくり返した。どんな状況で録音されたかはわからないが、その「ごめんね」という言葉に嘘はないと感じた。当時彼はまだ 20 才そこそこだっただろう。素敵な人だ。

阪神大震災

 交通が日々復旧し、道路が比較的通りやすくなると、救援物資以外にも地元の商店や神戸以外からも、安い商品が届きはじめた。ほとんどの店は利益度外視で安く販売をはじめる。中には災害にあてこんで法外な値段の屋台を開く連中も最初はいたが、非難の目と、まわりが神戸の人のために安く販売するため、売れ行きの悪さであっという間にいなくなった。その次に現れたのが、おばちゃんの集団と悪徳業者の買い付け軍団。大量に食糧や物資を買い漁り、バスや大阪ナンバーの車に積んでいってしまう。少しでも咎められると「安いからええやんか。買うたったらあんたらも助かるんやろ。人助けやないか。」と大声で動じない。大人しい神戸っ子やマスコミは、当時あまりそのことを言及しなかったが、僕だけでも 4 〜 5 回はその光景を目にしたのだから、こういうことは相当あったと思う。

 いろいろな仕事のお手伝いをすると、自称不良や暴走族の子たち、 10 代、 20 代の子たちと出会い、皆、すごく良く働いていて感心する。お年寄りの世話をしたり、力仕事を率先したり、何かにつけて非難されていた子たちのこういう姿を見ると「日本の未来は明るい」と微笑ましくなる。たいてい避難所ごとにコミュニティが生まれ、連絡をとりあったりしているのだが、どこのコミュニティにも眉をひそめたくなる集団がいる。いわゆる団塊の世代と呼ばれる、当時 40 代を中心とした集団。今の自分の年齢だ。彼らは若者たちに指示ばかり出し、皆が働いている時でも避難所の隅に集まっては議論ばかりしていて、体を動かそうとしない。何か問題がおこると「議論しよう」「打ち合わせしよう」。おそらく会社では中間管理職ぐらいの年齢だからなのか、全共闘世代で理屈だけで生き残ってきたのか知らないが、「要するに働きたくないか、人よりも少しでも上に立ちたいだけでしょ」と廻りから皮肉を言われても、集まっては議論し、どんなことでも表やグラフに書こうとし、何もなくなると国政にまで話を発展させ、それでも何も議題がなくなると、働くでもなく何かを考えながらうろうろと歩き回る。「あんたたちが日本をダメにする」と金髪の若者がつぶやく。その子が某国会議員が視察に来たときの話を聞かせてくれた。迎えの車を小型車しか用意できなかった。怒ってその場で帰ったらしい。「本当だ。あいつらが日本をダメにする。」と 2 人で笑った。

 もちろん神戸にはその後も何度も行っている。震災の数ヶ月後、渡辺美里さんは一時的なチャリティだけではなく、ノーギャラで KISS FM から 1 年間毎週番組を一緒に発信してくれた。中居さん同様素敵な発想だ。

 以前同様、イベント好きな行政が行うルミナリエをはじめとするイベントを見るにつけ、「もっと他にやるべきことがあるんじゃないか」とも思うこともある。それでも神戸の人たちが一生消えない心の傷を負いながら、今も笑顔で迎えてくれることに心から喜びを感じる。そして今年も 1 月 17 日がやってきた。

 あの人はその日何を思って今があるのだろう。

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Kiss-FM KOBE
http://www.kiss-fm.co.j...
神戸市震災資料室
神戸市-震災資料室(阪神・淡路大震災)
http://www.city.kobe.jp...
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