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tab_star2006/07/12tab_end編集部より
1987 年のニューヨーク PART 3
〜犯罪都市 NY 〜
僕がニューヨークで生活したのは 1987 年。
当時のアメリカは日本にくらべてはるかに不景気で、不景気ということは治安が良いとは言えない渾沌とした時期でした。

あくまでも個人で見聞きし体験した話です。データをもとにした文化論ではなく、個人的な情報をもとにお話しますので、その点は差し引いてお読みださい。
1980 年代初頭ヒップホップカルチャーの開花に遭遇した僕は、「生活がしたい」という以外何の目的もなく 1987 年、NY に降り立ちました。華やかな当時の NY は、世界に名だたる犯罪都市という裏の顔も持っていました。
文・写真:津島健太( VividCar.com編集長 )

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tsushima-SS.jpgicon_home津島健太
[VividCar 元編集長・フリーライター]
現在は「港未来シンジケート」代表としてのインディーズレーベルやイベントプロデュース業と平行して、JMS日本モータースポーツ記者会、ナンバー付きVITZレース1000c.c.CUP 代表、vivid car .com 編集長、作詞家、旅のライター等々イカゲソ並みの数の鞋をはいている。
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殺伐とした街

今回から数回に分けて、僕が経験したニューヨークシティの影の部分を書こうと思います。
ここでも NY と略称していますが、一般的に日本人が言うニューヨークというのはニューヨーク州の最南端。ニューヨーク州ニョーヨーク市の事。ニューヨーク州はナイアガラの滝のあるカナダとの国境まで広がっているんですよ。ニューヨークシティの小さな島が、摩天楼がそびえるマンハッタン島です。

それはさておき、5 年前のテロの年あたりから昨年末、マンハッタンに行って一番驚くのは、治安が格段に良くなっていることです。それは僕にとっては最近の NY で一番のカルチャーショック。
誤解されないように先に書いておかなければいけないのは、ニューヨークシティ特にマンハッタンは今も当時も大好きな街です。素晴らしい経験と楽しい毎日を過ごしました。しかしそれは、それまで年に何度も観光やビジネスで訪れていた時には経験しえなかった光と影の両方をあわせて素晴らしい経験だったと思うのです。
前にも書きましたが様々なヒップホップカルチャーが華開いた 80 年代初頭に比べて、80 年代後半は天気に例えれば、雨は降っていないけれど毎日曇り空、のような状態。景気が悪くなり 80 年代初頭に知合った、マドンナやキースヘリングなどを次々と世に送りだしたクラブをプロデュースしていた夜の帝王たちも、新しいことを始めるインベスター(投資家)が影を潜めてしまった影響で、すっかりおとなしくなっていました。逆にバブル景気前の日本人がニューヨークを闊歩しはじめた時期です。

景気が悪いと治安も悪くなります。80 年代後半に限ったことでは決してありませんが、少なくとも 80 年代初頭や今のニューヨークにくらべると全米 3 大犯罪都市を実感するのには十分でした。
マンハッタンは東京で言えば東京 4 区(港区、中央区、新宿区、千代田区)をあわせた大きさとほぼ同じ大きさ。その範囲で想像してみてください。その中で毎日 20 人が殺害され 200 件の強盗事件が起こっていると言われていたのが、当時のニューヨークの犯罪事情だったのです。

僕が滞在したわずか 1 年の間にもいくつかの犯罪とニアミスしました。
マフィアの元幹部が TV の生放送で暴露した直後、TV 局の玄関(日本のように広い敷地に囲われているわけではなく、普通の都会のビルですから玄関を出ると人通りの多いミッドタウン)で射殺なんていう映画のような話もありました。夜中になると外はパトカーの音は毎日聞こえますし、銃声の乾いた音が聞こえることもありました。銃声の音って、テレビドラマのようなドキューンという余韻のある重い音ではなく、パン!という一瞬の乾いた高い音だと知りました。
人間というのは不思議なもので、最初は緊張から眠れなかった日々も段々「そんなに犯罪があるなら自分の身にふりかかってきてもしょうがない」とある種の開きなおりを身につけるのです。
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27 才の私ってちょっと不良っぽい??
これクワタケースケが来た時のホテルの部屋

銃声

その乾いた銃声をすぐそばで耳にしてしまったことが、僕が遭遇した最も危険な経験でしょう。
いつかお話しますが、NY に来て半年以上たった頃、ちょっとしたおこずかい稼ぎに頼まれてガイドのバイトをした時の事。ホテルにお客さんを送っていった帰り、深夜 1 時ぐらいでしょうか。ホテルの向かい側にお気に入りのピザのチェーン店があるので、テイクアウトしようと道路を渡ろうとした時のことです。
道路の反対側で口論をしているヒスパニック系の男たちがいたのですが、何となく目をあわさずに車がいなくなるのを待っていました。僕が走って車道を横切った頃ちょうど男たちは何やらのしりながら左右に別れていったので、ちょうどその間を横切った瞬間、右側から銃声がして、左側でなんとも言えないにぶい音(銃弾が肉を弾く音?)。
その後のことは頭が真っ白で良く覚えていませんが、感覚的には一瞬体が硬直して、興奮する人の声がしてスローモーションでピザ屋に飛び込んで頭をふせたという記憶です。すぐに騒ぎとなってパトカーも来ましたが、結論から言えば、撃った人間と撃たれた人間の間をほんの 1 秒かコンマ何秒かの差で僕は横切ってしまったということになります。

さすがにその帰り道はタクシーで帰ることにしました。タクシードライバーは興味津々に何があったのか聞きます。するとそのドライバーはこともなげに「お前は銃が欲しくないのか?銃が欲しいならコネチカットに行けばいい」と言います。
「そういう話じゃないだろ」と思いましたが、彼が言いたいのは(今はどうだか知りませんが当時は)NY 州では銃の売買は許可証がいるけれど、車で 1 〜 2 時間も走って隣のコネチカット州に行けば州法が違って合法的に銃を売っていて誰でも買える。スーパーでも売ってるよ。だから絶対 NY で犯罪はなくならないから、護身用に買った方が良い、ということでした。もちろん買う事もコネチカットに行くこともありませんでしたが。そう言えばライフルで有名なウィンチェスターもコネチカットの会社でしたね(2006 年 3 月に 140 年の歴史を閉じて工場閉鎖)。

ある朝、6 時ぐらいでしょうか。僕の住んでいたアパートのすぐ近くの角を素っ裸の体に汚れた毛布一枚だけを巻き付けたおばあさんが、裸足で足早に歩いていました。
何かのデモンストレーションにしてはあまりにも露出が多すぎます。それどころかその時は 11 月、氷点下の朝だったのです。さすがに周りの人も心配して声をかけるのですが、そのおばあさんはどんな声をかけられても「No!」としか答えずに足早に歩いていきます。かと言って、彼女がホームレスでないことは汚れた毛布に反比例した清潔感や、きれいにセットされた髪型などからおそらくそこにいた誰もが感じていたと思います。
通り過ぎてさらにその先で声をかける人の声も「No」の一言でさえぎるおばあさんの後ろ姿を見送りながら、人々は口々に「よほど恐い想いをしたんだね。タクシーにも乗らないで」とか「昨夜は凍えるから地下鉄の駅にでもいたんだろうか」と話していたことを思い出します。
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ローカルルール

犯罪にも住んでいる人しか知らないローカルルールがあるケースもあります。
80 年代半ばを過ぎると、街のあちらこちらにブレイクダンスのストリートパフォーマーが進出しました。
日本の雑誌やガイドブックにも必ずと言っていいほど写真が載っていたと思います。
プロードウェイミュージカルの開演前夕方 6 時ぐらいからと終演後夜 10 時頃。ブロードウェイや 7 TH AVENUE、特にタイムズスクエアのあたりは毎晩パフォーマンスが繰り広げられていました。

タイムズスクエアから少しだけ北にいったある地下鉄の駅の上。気分が高揚している観光客は気づかないかもしれませんけれど、少し冷静に見ると「こいつらちょっと下手じゃない?」というパフォーマンス集団がいます。ドラムセットを持ち込んで、ドラムやパーカッションの生演奏で行うブレイクダンスショーですが、そのパーカッションも下手。それもそのはず、彼らは集団スリの一味なのです。

黒人がリズム楽器を叩いて踊っていると上手く見えてしまうのが、日本人の悪い偏見。
やはりガイドのバイトをした時に「雑誌に載ってないような経験をしたい」というリクエストにお答えして、そこに連れて行き「ホーラ来た来た」と夢中で見物している後ろからカバンを開けようとした瞬間に、スリの腕をつかむというパフォーマンスを見せたこともあります。腕をつかまれた方も「何だばれたか」と苦笑いして去っていくだけです。
結果的にゲストを脅かしてしまうのですが、そうすることで、ガイドしているゲストもその後からはカバンはしっかり持ってくれ、慣れてきて浮かれていた気分を引き締めてくれるので、翌日からガイドが楽になります。
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もうひとつのローカルルールはドラッグの売買。今は非常に厳しくなりましたが、マリファナ、コカインなどのドラッグが簡単に手に入った 80 年代の NY。後半、ちょうど僕がいた頃から取締りと罰則がやや厳しくなりました。
AIDS の話は別の機会にするとして、その影響から、やっと当局も特に注射器を使ったり SEX に効果があるとされたドラッグに対して、重い腰をあげはじめたといった時期です。そう言えばこの時期に覚えた日本人の著名なミューシャンも、後に止せばいいのに日本やバリで手を出して次々と逮捕されましたね。

コカインが高騰し、手に入りにくくなってくると、安くてコカインと同じような効果があるとされたクラックというドラッグが横行しはじめたのが 87 年です。
当局は当然取り締まりのキャンペーン等をやっていましたが、公然と語られていたのがダウンタウンイーストの AVENUE A と B の間。11 th Street がマリファナ、12 th がクラック(だっけな?)とか、決った売買ストリートがあって、そこは当局も取り締まらない、という噂が真しやかに囁かれていました。
金を持っている日本人アーティストの間では有名な話でしたが、NY でつかまった人はいないですから、その噂はおそらく本当だったんでしょうね。

他にもローカルルールはいろいろとあったのですが、少なくとも犯罪を避けて通れることが、生活を楽にさせてくれたことは間違いありません。
それでは僕がわずか 1 年の滞在でどうやってそういう情報収集をしたのか、つてもなく生活情報をどうやって得ていたのか、今から行く人にも役に立つ生活術はまたの機会にお話しましょう。
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