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ストーンヘンジオートメカニカ
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tab_star2006/08/11tab_endバリアフリー
竹内聡インタビュー
Vivid Welfare をオープンしてわずか数日後。茨城県の竹内聡さんとおっしゃる方からメールをいただいた。
当サイトの長屋宏和、青木拓磨インタビューを読んだら元気が出た、という ALS(筋萎縮性側策硬化症、元ヤンキースのルー・ゲーリック、ホーキング博士もこの病気)という原因も治療法もわかっていない難病にかかられている 47 才。

文 :津島健太(VividCar.com)
写真:竹内 聡・津島健太

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tsushima-SS.jpgicon_home津島健太
[VividCar 元編集長・フリーライター]
現在は「港未来シンジケート」代表としてのインディーズレーベルやイベントプロデュース業と平行して、JMS日本モータースポーツ記者会、ナンバー付きVITZレース1000c.c.CUP 代表、vivid car .com 編集長、作詞家、旅のライター等々イカゲソ並みの数の鞋をはいている。
Vivid Welfare をオープンしてわずか数日後。茨城県の竹内聡さんとおっしゃる方からメールをいただいた。
当サイトの長屋宏和、青木拓磨インタビューを読んだら元気が出た、という ALS(筋萎縮性側策硬化症、元ヤンキースのルー・ゲーリック、ホーキング博士もこの病気)という原因も治療法もわかっていない難病にかかられている 47 才。
発病から 3 〜 5 年で死に至る確率が高いという病気の説明と裏腹に、「どうせ残り少ないのならおもいっきり楽しんじゃおうと思ってるんですよ」とカート場を借りて電動車椅子を使ったレースを企画したり、電動車椅子の試乗記を書こうとしているということだ。

「一度乗ってみてください。楽しいですよ」というお誘いを受け、竹内さんの御自宅を訪ねた。電動車椅子は初体験だったが、不謹慎かもしれないが確かに楽しかった。しかも、今や立ち上がることができるものや、FF、FR、海外には山岳地帯用の四駆の電動車椅子もあるということを知った。これは筑波大の山海研究室のサイバーパワースーツの原型かもしれない。

「どうです?楽しいでしょ?もともと車が大好き、レースが大好きだったので、この乗り物の世界も健常者の皆さんにも知ってもらいたいんですよ」と笑う竹内さんだが、とても深刻な病気にかかられている。せき髄損傷の青木拓磨、頚椎損傷の長屋宏和はともに事故が原因。それとは違う形である日突然発症し全身の力を徐々に失っていく難病と戦いながらチェアウォーカーとなっている竹内さんに、Vivid Welfare のインタビューをお願いした所、快諾していただいた。
「なんでも遠慮なくズバズバ聞いてください。それを伝えることが大事ですから」というお言葉に甘えて、ストレートにお話をうかがった。
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飛行機と車が大好きでした

-------- まずは竹内さんの経歴を教えてください。

「もともとは、飛行機の整備の学校に通ってたんですね。そこには自分のお金で通ってたもので学資が足りなくなっちゃって、それで 20 才になるかならないかの時に自衛隊に入ったんですよ。
まず基本訓練があって、その後から整備の部隊に配置になりました。パイロットではないんですけれど、搭乗員と言って、P3C という当時最先端の哨戒機で操縦席の後ろにある電子機器を操作する搭乗員過程に進んだんです。すべての装置にコンピューターがはいっている最初の飛行機で、海上自衛隊でコンピューターに強い適正をもった人員、当時はシステム要員と言っていたんですけれど、それを養成するタイミングだったんです。
そうやって飛行機に乗りたくて海上自衛隊の航空隊に 3 年ぐらいいたんですけれど、子供の頃に腎臓の手術してまして、航空身体検査に落ちちゃったんです。で、飛行機に乗れないならもういいかって自衛隊を辞めちゃったんです。

飛行機に興味を持ったのは子供の頃からですね。小学校低学年の頃に書いた紙芝居がたまたま出てきたんですれど、船が衝突してそれを飛行機で救助に行くという絵とストーリーを書いていて、やっぱり小さい頃から飛行機に対するあこがれがあったんでしょうね。
一番記憶に残っているのは、東京オリンピックの開会式で自衛隊の飛行機が空に五輪を描きましたよね。あれをかすかに覚えてるんですよ。たぶんそれがきっかけじゃないかなと思うんですよね。

自衛隊にいる頃に三菱のフォルテっていう四輪駆動車に乗ってたんです。ピックアップトラックでしたけれど、その後このフレームとエンジンに箱型のボディを乗せたのがパジェロです。
そういう車に乗ってたこともあって、四駆のチューニングショップに就職したんです。4年ぐらいやってたかな?車が好きで自分の車に給料全部つぎこんでる状態の時期。当時で 300 〜 400 万ぐらいつぎこんでたかな。

20 代後半になって結婚も考えるようになって、当時出たばかりの就職情報誌を見て会社に入りました。その会社はもともとコンビューターのファームウエアの開発をする会社で、わかりやすく言えば、家電製品に入っているプログラム、車に入っている電子制御プログラムですね。一番長くかかわったのは携帯電話の交換機側のプログラムです。」

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---------車もずっと乗っていたんですか?

「車歴を話し出すと長くなりますよ(笑)。フォルテの前にセリカに乗ってました。その後フォルテ。後は、ジープ、ジープも J52だとか 54 だとか 57 だとか乗り継いで、それから、アメ車も乗りましたね。ファイヤーバード・トランザム 455。それからランドクルーザー 40 系、それから 60 系。それと三菱の GTO。三菱セレステ。セレステはトラストさんに持ち込んでワンオフのマフラー作ってもらいました。それから、いすずユニキャブと言ってダムかなんかの建築現場で使っていた変わった車を解体屋でみつけて直しまして、結婚した当初はそれに乗ってました。子供が生まれても乗ってたんですけれど、だんだん幌が裂けてきて、赤ん坊を乗せるのにふさわしくない、と親戚中から非難を浴びまして、それで買ってきたのがセドリック 330。330 から乗り換えたのが、軽のワンポックスでしたね。でも高速道路がつらくて、安い中古の高級車を探したらあったのがクラウンのワゴン。そこからだんだん大きい車になってきてハイエース。ハイエースから初期型から丸くモデルチェンジをしたパジェロ。まるいバジェロの後は、卵型の 3 ナンバーのオリジナル型エスティマ。それから初代のステップワゴン。その次がシボレーブレイザーでも小さい方の S10 ブレイザー。この S10 ブレイザーに乗っていたら、下の娘が「小さくて息が吸えない、やだやだ」って言い出しまして、「じゃでかいのにする」って乗り換えたのがフルサイズのシェビーバン。シェビーバンに乗ってる時に今の病気になりまして、車椅子用のリフトつけようかと思ったんですけれど、自分しか運転できなくて、頼める人がいない。で、今のエスティマになりましたね。」

---------お子さんは?

「3 人いて、一番上が 20 才、2 番目が 17 才、一番下の娘が 13 才ですね。実は一番上の子と次男は自衛隊生徒っていうシステムで学校に行ったんですよ。中学卒業して制度試験を受けて、受かると身分は自衛官アンド高校生という制度があって、一番上の子はさっき話をした P3C の搭乗員となって今は空を飛んでいます。」

---------じゃ、お父さんの夢をかなえたわけですね。

「ええ、そんな感じです。真ん中の子は今度学校は高校 3 年で、今は広島の江田島で鍛えられているのかな。」

どうすりゃいいんだろう

---------奥様がお亡くなりになったのはいつ頃なんでしょう?

「7 年になるのかな。亡くなったのが一番下の子の小学校の入学式の前日なんですよ。乳癌だったんです。わかったのが娘が幼稚園に入園した年の 5 月。家内が 33 才の時ですね。秋に手術をしたんですね。それからは再発と入院のくり返しで。ちょうど 3 年たって、娘が今度は小学校に入る時に亡くなっちゃった。」

---------どんな奥様でしたか?

「一言で言うと、いかにも O 型というか、おおらかというか。一緒にキャンプ行ったりバイク乗ったり、そんなのも好きでしたね。セリカの時に出会って、つきあってる時は四駆乗りになってましたから、普通の車が入れない所ばかりつきあわせてました。はじめて四駆仲間のキャンプに連れていった時、トイレも何もない所だったんですね。『トイレは?』って騒ぐから『はい』ってスコップ渡したら、何も動じないで暗闇に消えていきましたからね(笑)。そういうのはあまり気にしないところがありましたね。」

---------奥様が亡くなってお子さんのことが一番気がかりだったと思いますが

「どうすりゃいいんだろうって、まず思いましたよね。カミさんの葬式を出す前に娘の入学式に行かなくちゃいけないんですけれど、そういうのを全部まかせていたので、なにをどうしたらいいんだろうって。
まずはカミさんが亡くなったって親戚とかに電話しなきゃいけなかったんですけれど、電話する前に電報が来たんですね。電話が通じない、連絡がとれないって。調べたら電話が止っちゃってた。『電話代ってどこで払うんだ?』。葬式が終わって家に帰ったら今度はガスが止ってたり。そういう身の回りのことを全部まかせてた。
それからいろんな学校行事がありますよね。保護者参観とか。そういうのもどうやって、何をすればいいんだろうとか。五里霧中でしたね。全部カミさんにおまかせ状態でしたから。
カミさんが亡くなるまでは母子家庭って言っていいぐらいほとんど家にいないで残業や土日出勤で仕事ばかりしてました。それでカミさんが癌になって、娘の幼稚園の送り迎えをするようになって少しだけ肩代わりするようにはなってたんですけれど、子供の大きなイベントがあるときは入院しなくちゃいけない時でも、運動会や入学式なんかを避けて入院したりして優先していたんですよ。
彼女は絶対直ると思ってましたから、おまかせというよりも、逆にそばにいると『来なくていい』と言ってましたから。」

ルー・ゲーリックと同じ病気

---------竹内さんの ALS(筋萎縮性側策硬化症)が発病したのはそれから何年後ですか?

「4 年後ぐらいですかね。それまではまったくわからなかったですね。スクーターに乗っていて、ブレーキをかけたんですけれど、うまく止らないんですよ。おかしいな、と思ってバイク屋に持って行ったら『なんでもないよ』って言われて。
そこのバイク屋になぜか父親の形見っていう握力計があったんですよ。それで計ったら握力が 17 〜 8 キロぐらいしかなくて、それで突然わかったっていう感じですね。それまでなんとなくブレーキが甘いなあとは思ってはいたんですけれど。それで病院に。最初は整形外科だったんですけれど『MRI の検査しましょうか』って検査したら外科的には問題ないんですね。

でもそのお医者さんが『ゲーリックっていう人と同じ病気かもしれないよ』って話されて、『ルー・ゲーリックって知ってる?』って聞かれたんです。私ぐらいの年だとベーブ・ルースとかルー・ゲーリックというニューヨーク・ヤンキースの大打者の名前は伝説として記憶に残っているので、『知ってますよ』って答えました。
そうしたらお医者さんが『ルー・ゲーリックっていう人は晩年 ALS っていう病気にかかって、それで亡くなったんだよ』って。病気の症状としては、だんだん全身の力がなくなって、最期には呼吸する呼吸筋も動かなくなって、息ができなくなって死んじゃう病気なんだって話されたんですね。ですから、ある意味この時が告知かな、とは思っています。

すぐに神経内科の受診をすすめられて、受診の予約をしてその日は帰ったんです。家でインターネットで病気のことを調べたんですけれど、頭の中にルー・ゲーリックって名前しか残ってなくて、ルー・ゲーリックで検索したら ALS という病気のことが書いてあって、よくよくそこを読んでみるとろくな事書いてないんです。原因不明で治療法はないよ、と。3 年から 5 年で死に至ります。そういうことしか書いてなくて、これは早く受診した方がいいな、と翌週に予約を早めたんです。で、神経内科を受診したらその翌週には筑波大学付属病院に検査入院となりました。」

---------自覚症状はほとんどなかったわけですね?

「そうですね。握力が弱ってるということをたまたま知ったぐらいです。ただ神経内科を受診した時に先生があちらこちらをコンコン叩くんですよ。その問診である程度の検討はつくみたいで、その裏付けのための検査入院ということのようでしたね。」

---------ALS がわかったのはその検査入院ですか?

「検査入院をして 2 週間ぐらいたった時に『ご家族の方を呼んでください』って言われて。ところが、ご家族って言われても一緒に聞けるような家族がいなかったので『私ひとりだけでいいです』っていうことになって、それで告知を受けました。」

---------ウイルス性だとか、そういうことすらまったくわかっていない病気なんでしょうか?

「いろいろな説はあるんです。ウイルス説だとか、遺伝子説だとか。ひとつわかっているのが、染色体の一部分が欠如していると ALS にかかりやすいという遺伝的なものがあるということはわかってるんです。それでもこれは ALS 患者の中の 3 %ぐらいって言ってたかな?そういう人はいます。」

---------脳硬塞のように突然倒れたりということはなく、なんとなく力が抜けていくという状態で、今、竹内さんは発症から 3 年ということですが、その自覚症状はあるわけですか?

「今もだんだん力が減って行くというのはわかっていて、例えば車を乗った時にハンドルを回す速度が、自分の頭の中のスピードよりも遅いんですよね。ブレーキも踏み方が甘くなっていく。先週までは持てた荷物が今週は持てなくなったり。」

---------そんなに急速に劣えを自覚することがあるのですか?

「ありますね。例えば先週持てた牛乳パックが今日はうまく持てない。」

--------病気を受け入れることはひとりだけで消化したのですか?今は非常に明るくお話されていますし、いただいたメールに「どうせ残り少ないならおもいっきり楽しんじゃおうと思ってます」と書いてあって、びっくりしたのですが、そこまで人に言えるようになったのはいつ頃ですか?

「へへへ(笑)。この病気になって、すごくラッキーだったのは、お医者さんのネットワークに恵まれたんです。一番最初に見ていただいた神経内科の先生は筑波大からうちのすぐ近所の病院に定期的に診察に来られている先生で、その先生が主治医なんです。その他にもすぐ近くのクリニックにその先生の同僚の方がいらっしゃったり。
自分の近くに顔見知りの先生がいるということで、相談がしやすい環境がありまして、不安なことなんかがあるとすぐ聞いちゃう。『多少落ち込み気味なんだけど』なんて話をすると、『いや、この ALS になると躁鬱の気が多少出て来る方がいますよ』って精神安定剤を処方されて飲んだりとか、心の安定を保つケアをしてもらえる環境だったということ。
後は、夏ぐらいに検査入院をして、それで退院をしてきて、その 2 か月後ぐらいにいきなり呼吸が苦しくなっちゃったんですね。筑波大に再入院したんですけれど、その時に急に足がふらついて歩けなくなっちゃった。そこで車椅子に乗るという状況になっちゃって、そうやって症状がガタガタっと悪くなって逆にある意味開き直りにつながってるんじゃないかなあ、という気がしますね。

病気を受け入れたのは検査入院する前じゃないですかね。先生にこんな病気の可能性があると言われて、自分でインターネットで症状だとか調べて、自分とあまりにも一致しているので、それですぐ検査入院と言われて。その頃にはもう半分覚悟してました。その結果 ALS と言われて『やっぱりそうなんだ』という受け取り方でしたね。」

---------今現在はどういう状態なんですか?

「もう手足の力は格段に落ちてますし、ある時突然呼吸が苦しくなることがあるので、人工呼吸器を使うこともありますし、春から夏にかけて苦しくなることは多いですね。
1 年のうちで波があるのと 1 日の中でも波がありますね。腕だとか足とかの筋肉が落ちて細くなっていくのがわかりますね。運転は駐車場の出し入れとか、せいぜいガソリンを入れに行くとか。どこか行く時に運転を頼んで、そのためにガソリンを入れに行くぐらいですね。」

---------お子さんは病気のことを聞いてどんな様子でしたか?

「その前に母親が癌だってわかった時の方がショックが大きかったですね。2 番目にもうそろそろダメというか、もう助からないんだよ、という話をした時。
で、『お父さんこんな病気になっちゃったよ』って言った時は『それはどういう病気?』って結構冷静に聞いてくれました。病気のことを話した時はインターネットでなるべくわかりやすい説明を検索してそれを子供たちに読んでもらいました。彼らは冷静でしたね。」

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Enjoy Stick 〜電動車椅子の世界

--------体以外に現実的に何が大変でしたか?

「教育費だとか、住宅ローンだとか、そういうのを試算した時に、家計がパンク寸前だと。その上だんだん動けなくなるということはだんだん仕事量も減る。そういうのを加味してもう 1 回計算し直してみると、やっぱりあと何年かたつと家計がパンクするという現実にあたった時、どうしたらいいんだ、と悩みました。ちょうどその時に長男が自衛隊生徒に合格して、とりあえず長男は手を離れた。
そうなった時に次に目の前の問題として、長距離が歩けない。電動車椅子を手に入れるのはどうすればいいのか、それしか考えていない時期がありました。
いろいろな助成金の申請のために役所にレポート出して、今度は次々と質問が来て、またレポートを出して、また質問が来て、そんなことのくり返しばかりで半年もかかったんです。こんなに大変なら同じように欲しいんだけど手に入れられなくて困っている人たくさんいるんじゃないかと思ったんですね。
で、その時の様子が『難病と在宅ケア』という雑誌に載ったんです。それを見た人から反響がありまして、その時に、自分の病気はどうせ進んでいってしまってどうしようもないんだから、それならば、自分が経験してきたことで他の人の手助けになればな、と気持ちの切り替わりというか、そういう気持ちになってきたんです。」

---------それだけお役所に翻弄されて、電動車椅子の費用というのはほとんど出たんですか?

「いやいや、自己負担の方がずっと多いです。借金しました。仕事も在宅で今もしていますし。」

---------Enjoy Stick を提唱するようになったのは?

「昨年の春ぐらいからですね。もともとモータースポーツが好きで電動車椅子を使って何かできないかなって言い出してはじめたのが昨年の春です。それでなんとなくいろんな方が集まってきた。
カート場にパイロンを立ててジムカーナのタイムレースをしたんですよ。練習走行でタイムを計って、決勝の前に自分のタイムを申告するんです。『僕は 59 秒で走ります』『私は 1 分 30 秒で走ります』って。それで申告したタイムに一番近く走れた人が勝ち。
楽しいですよ。何回かタイムアタックをしているうちに、体内時計がだんだん研ぎすまされていくんですよ。そうすると 100 分の何秒までは自分の思っていたタイムに近づけますね。前回優勝しちゃったんですけれど、その時は 100 分の 2 秒だったんですよ。」

---------この先何がやりたい、あるいは何をやるべきだと思っていますか?

「やりたいことはたくさんありますよね。旅行にいきたいとか、もっとハンディキャップを持っている方と会って話をしたいとか。ボートの免許とってみたいけどとれるのかな(笑)とかね。やるべきことっていうのは、あまり深くは考えてなくて、できること、目の前の問題点をひとつひとつ解決していくこと、それがやるべきことなんだろうな、と思います。」

-------以前姉妹サイトの Vivid Car で片山右京さんのインタビューをした時、「なぜ F1 を降りて、またすぐに命がけでさらに危険な山登りをしようと思ったんですか?」と聞いたら「人間の致死率は誰だって 100 %なんだから今しかないし今日しかないんだよ。」って答えたんですけれど、その意見をどう思いますか?

「そうですね、そのとおりです。やっぱりなんとなくだけど、私自身の生き方が 8 ビートなんですね。だから V8 エンジン好きなのかな(笑)。8 ビートってそれほど速くもないし遅くもない。ちょうど前を見て歩いているっていうぐらいかな。走ろうと思えば走れなくもないし、もっとゆっくり行こうと思えば行けなくもない、そういうスピードが 8 ビートなんです。これが自分の生きる速さじゃないかなあ、と。
今ね、面白みのある福祉車両を作れないかなって考えてるんですよ。昔は出たばかりで買えなかったけれど、今なら中古で右ハンドルの S10 ブレイザー買えるだろうな。あれにトレーラー引かせて、そこに車椅子のっけたらまたアメ車で走れるかなとか。なんとなくそんなこと考えてますね。
それで電動車椅子でクロスカントリーに行きたいんですね。ちょっとごつい靴はかなゃいけないような所まで電動車椅子で踏み込めないかな。アメリカあたりでは四駆の電動車椅子があるので、そこで乗ってみたいですね。」

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---------電動車椅子が竹内さんにとって自動車と同じ役割なんですね?

「そうですね。普段の外に出る足ですから。」

---------外に出てバリアフリーについて考えることはありますか?

「日常茶飯事ですね。手動の車椅子よりも電動車椅子の方が幅がありますから、ドアの幅とか。それから自動ドアってこれが意外と開いてくれないんですよ。センサーの真下に体が来て開くタイプのものだと、手を振りかざさないと開いてくれないですよね。後はお店の中の陳列。車椅子用のトイレも中途半端な大きさだと中で回転できないから最初からバックで入っていかないとダメとか、そういうのは日常茶飯事ですよね。」

--------竹内さんがこのサイトを通して伝えていきたいことはどんなことですか?

「やっぱりケガしたり病気をしたりいろいろだけど、それでも健常の人とは違うんだけれど、自動車乗れるんだよっていうこと。
それから無理をして手動の車椅子に乗ってる方が意外と多い。そういう方には電動車椅子を普段使って、リハビリとかスポーツをする感覚で手動の車椅子、両方お使いになるのはいかがですか?ということを伝えたり。
車椅子も自動車も同じ乗り物なんだから、もう少し楽しく考え方を広げてみたらどうでしょうというお話とか、そういうことができたらいいな、と思いますね。」

僕らは福祉車両のサイトと言いつつも、車だけにこだわるということではなくて、車に乗ったらその先にもっと楽しいことがある。そこにたどりつくためにまずはこんなにたくさんあるんだよ、と、福祉車両を紹介して、それプラスその先の楽しみを伝えていきたいと思ってます。

竹内さんには青木さんや長屋さんとも違って、病気によって今の状況がある。竹内さんには今後このサイト上で、片山右京さんのように生きるということの意味が伝わるようなお話を聞かせていただけたらな、と思っています。
レポーター陣の中では最年長でもありますし、若い人たちや同じように病気の方たちに病気とうまくつきあいながら楽しもうということを伝えていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。

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Enjoy W-Car
http://www.vividcar.com...
福祉車両に関する情報サイト「Enjoy W-Car Vivid Welfare」はこちらからどうぞ。
Club-ENJOYSTICK_top
Club-ENJOYSTICK
http://homepage2.nifty....
竹内さんが「電動車いす」を楽しんでいる仲間と発足したクラブのサイトです。
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