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tab_star2008/03/14tab_end今回のプロジェクト!
コージ緊急寄稿! 私と梁瀬次郎さん
“輸入車の父”、遂に墜つ…
13日早朝、肺炎のために死去されたヤナセの名誉会長である梁瀬次郎さん。まさしく“輸入車の父”であり、日本のクルマ業界のために尽くされた偉大なるカリスマは、いったいどういう存在だったのか? 小沢コージが回想する…
文と写真:小沢コージ&クライマックス
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幸運にも3年前、インタビューする機会を頂いた。「会長と握手すると出世する」「シアワセになれる」というもっぱらのウワサで小沢もつい握手! その後、会長がよく行かれるという隣の稲庭うどんの店にも立ち寄った。
梁瀬次郎。1916年東京生まれ。23年関東大震災が発生、父の郷里群馬県碓氷郡豊岡村(現高崎市)に避難。慶應義塾幼稚舎、普通部を経て39年に慶應義塾大学経済学部卒業、梁瀬自動車工業に入社。41年取締役、45年社長、85年会長。2008年3月13日没。享年91歳。
2代目でありながら創業者でもある

 私なんかが名誉会長の話をするなんて、なんだが不釣り合いな気もするが、3年前『ENGINE』誌の連載取材のためインタビューする機会をいただき、直接お会いしたこともあるのでまあいいだろう。握手もさせていただいたし。
 当時、御歳88歳。まだまだ頭脳明晰! というほどでもなかったが、得意の話題になると俄然、目を輝かせてしゃべり出すのが印象的であった。

 いろいろお話を伺ったわけだが、一番、凄いというか希有な存在であると思ったのが、“二代目でもあり創業者”でもあること。大抵の場合、二代目もしくは三代目というのは偉大かその逆かどちらかだが、名誉会長の場合は完全前者で、その上さらに特殊な環境。
 プロフィールを見ればわかるが、下から慶応のお坊ちゃまで、甘く育てられたかと思いきやどっこい、次郎少年は病弱で吃音もあり、お父上はメチャクチャ厳しかったどころか、「嫌われてる」という意識すらあったそうな。
 それだけに頑張ったというか、反発の人生で、しかもヤナセの場合、確かに自動車輸入業を始めたのは、元三井物産の父の発案だったが、父自身はそれほど事業を続けることにこだわっておらず、戦中、戦後は自動車輸入業を辞める可能性すらあった。

 しかしそれを続け、苦難を支えたのは完全に二代目である次郎名誉会長の意思であり、そういう意味では創業者的でもあったのだ。

 一時は鉄鍋なども売ってたそうで、インタビューの時に実際に鍋を触らせてもらった時はあまりのボロさに感動した。

●上品な体育会系二枚目集団!

 その後は、まあ、ハッキリ言ってかなり順調で、ヤナセはぐんぐんデカくなっていったわけだけど、成功したポイントは小沢が分析するに、意外にもその“お坊ちゃま体質”にあった。
 下から慶応の体育会系で、そういう“お坊ちゃまで運動部”の人を好んで取り、なんというか上品で声がデカく、育ちもよくて甘え上手な二枚目! みたいな社員がいっぱいいたようなのだ。
 カンタンに言ってしまえば“石原裕次郎”的なセールスマンがいっぱいいて、それがキャデラック、メルセデス、VWゴルフという一流商品をしっかり売ってたわけだから、そりゃ成功するわけよね! という感じ。

 実際、名誉会長の若き頃の写真を見るとマジ二枚目! 俳優になってもおかしくないほどの彫りの深いマスクで、確かに背は低めだったが、甲子園に行ったほどの野球少年でもあり、これでカリスマ経営者なのだから、さぞかしモテたんだろうなぁと思わせるものがあった。

 
出て行く時に「コンコン」とドアを叩くほど緊張したヤナセ社員

 インタビューの話はそのくらいにして、最後に直接見聞きしたエピソードをひとつふたつ。
 
 とにかくヤナセにおける名誉会長の存在は絶大で笑い話は沢山あった。例えば次郎さんが社長時代に、とある社員が社長室に入ってくる時のこと。「コンコン」とドアを叩いて入ってくるのはまあいい。問題は出ていく時だ。緊張のあまり、その時も「コンコン」とドアをたたいて出ていったとか、名誉会長が社内の通路を通り過ぎ去る時、目の前を通ってないのに、深々と頭を下げたとか、電話口でお辞儀した社員がいたとか、伝説は数限りなくあった。まさに天皇陛下なのであった。

 そして私が今でも覚えてるのは、ドイツ大使館でのことだ。確かオペルの輸入何周年記念パーティで、名誉会長も来ておられた。確か80代後半ぐらいの年齢だったと思う。

 で、パーティも後半にさしかかり、誰かがスピーチを始め、みんなが立ち上がった時のことだ。名誉会長もつえをついて立ち上がったが、結構ふらふら気味なので、とある黒人のお手伝いさんがイスをもってきた。しかし会長はこういって断ったのだ。

「Thank you,I still Young!」

 いやー、カッチョ良かったです。これぞ名誉会長かなぁとも思った。男はこうありたいなと思いました。

 ご冥福をお祈りいたします。
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小沢コージ 40icon_home小沢コージ
[モータージャーナリスト]
愛とヒラメキに生きるモータージャーナリスト、小沢コージ。もしや全国各地に生息する“知られざるクルマバカ”を発見した場合、ぜひぜひ小沢ホームページ、http://www.koji-ozawa.com/をご確認の上、メールにてご紹介ください!! もしや謝礼も???
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