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tab_star2002/04/09tab_end輸入車事始め
輸入車事始め Vol.06
輸入車事始め Vol.06
 VividCar.com では輸入車を乗る喜びをお伝えするという事が大きな目的になっていますが、ここで考えた「初めて日本に入った輸入車って何?」ということ。結果が分からないまま連載をスタートし、調べていくうちにこの情報を探るのは非常に困難な仕事になってきました。情報のある方は是非、お寄せ下さい。 なお、この記事は2001年10月24日よりVividCar.comのプロデュースする有料コンテンツ「mission」に掲載された記事です。(編集部)
文章:前屋 毅
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前屋 毅_プロフィール_写真Sicon_home前屋 毅
[フリージャーナリスト]
 出すべき結論があるのかどうかも分からずにこの連載をスタートする。シックリいく結論が出ることを祈りながら連載を続けることになった。
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漫画集『極東にて』(G・F・ビゴー)より
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パナール・ルヴァッソール B2
トヨタ博物館所蔵
走るクルマを日本人が目にした初めての日

 日本初渡来のクルマが皇太子献納車でもロコモビルでもなく、フランス製の「パナール&ルヴァッソール」であることを証明してみせたのは齊藤俊彦氏だった。その論文を彼は、トヨタ自動車が発行する『自動車とその世界』の 227 号(1987 年)に寄稿している。
 このクルマの存在を発見するきっかけになった明治 31(1898)年 1 月 11 日付け『東京朝日新聞』から研究は深められ、新たな事実も発見している。パナール&ルヴァッソールの試運転の様子は、明治 31 年 2 月 1 日付けの『東京朝日新聞』が伝えていた。
 「石油自動車の試運転、……仏人テベネ(テブネ)なる者、該車を我が国に輸入せんと実物を携え来朝、目下築地ホテルメトロポルンに止宿し居り、昨日午後一時築地上野間に試運転を行いたるが……」

 走るクルマを日本人が目にした初めての日だ、ともいえる。ただし、その前にクルマは築地に運ばれていたわけだ。当時の外国貿易の窓口は横浜港であり、パナール&ルヴァッソールもここに到着したと思われる。どうやって、横浜から築地まで運ばれたのだろう。自走してきたのか。だとすれば、そのとき日本人の目にふれていることになり、築地−上野間の試運転が初御目見ではなかったことになる。それとも、馬車に乗せられた運ばれたのだろうか。そのあたりは明らかではない。

 ともかく、先の新聞記事に「昨日」とあることから、テブネが築地と上野のあいだにクルマを走らせたのは明治 31 年 1 月 31 日だったことになる。この日付けに注目し、この連載の前回でもふれたビゴーの漫画が、このときに写生されたものだと齊藤氏は見当をつけている。その漫画が、テブネが刊行した政局風刺の漫画集『極東にて』の明治 31 年 2 月号に掲載されていたからだ。齊藤氏は次のように書いている。
「テブネの試運転日の 1 月 31 日と、2 月号掲載のためのビゴーの取材日が、同日であった可能性は非常に大きい。そこで当然ながら、『試運転中の自動車をビゴーが描いたもの』という推測が生まれてくる」

 さらに、『東京朝日新聞』だけでなく、『時事新報』、『報知新聞』、『読売新聞』、『The Japan Times』にも、テブネと彼が運んできたパナール&ルヴァッソールについての記事があることを齊藤氏は確認している。それらを調べるために、彼は多くの場所に足を運んだ。当時の取材経緯を記した表を見せてもらったが、国会図書館だけでなく国立公文書館、外交資料館、開港資料館など、齊藤氏の調査は多岐にわたっていた。
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トヨタ博物館特別展「日本の自動車の前史」より
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川田男爵が愛用したロコモビル蒸気自動車
男爵資料館蔵
スタンレー・ロコモビル・スチーマー

 そうした齊藤氏の研究が、あっさり無視されてしまった。齊藤氏の論文はトヨタ自動車の発行する雑誌に掲載されたのだが、それを無視したのもトヨタ自動車だったのだ。

 1989 年 4 月、トヨタ自動車は愛知県長久手町に、著名な自動車史研究家であった五十嵐平達氏の監修による「トヨタ博物館」をオープンした。同館が発行しているガイドブック『TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM』の「博物館概要」には、設立の目的が次のように記されてある。
「18 世紀半ば過ぎ、産声をあがた自動車。それは 19 世紀の機械文明との出会いから、急速な進歩をなしとげました。そして自動車は、それ自体の進歩とともに、20世紀への文化をもつくり出していったのです。『トヨタ博物館』はガソリン自動車誕生から 100 年の時を凝縮し、皆様とともに自動車の歴史を学び、人と車の豊かな未来を考えるためにつくられました」

 ここからもうかがえるように、ただクルマを収集して陳列するためだけにトヨタ博物館はつくられたわけではない。より深く正確にクルマと人とのかかわりを明らかにする学芸活動も、トヨタ博物館の大きな使命とされている。そのために、特定のテーマを掘り下げて研究し、その結果を発表する特別展に力をいれている。
 その記念すべき第 1 回目が開かれたのは、開館 1 周年にあたる 1990 年の 4 月 14 日から 6 月 17 日までだった。テーマは、「日本の自動車の前史」。日本に自動車文化が定着する以前の歴史をたどったもので、もちろん日本初渡来のクルマにもふれてある。当然、そこにはパナール&ルヴァッソールが紹介されてしかるべきだった。

 ところが、トヨタ博物館が「日本初渡来」として紹介し、展示したのは「スタンレー・ロコモビル・スチーマー」である。当時のパンフレットには、次のように説明されている。
「日本に初めて自動車が輸入されたのは意外に早い時期で、アメリカでもわずか 4,192 台しか登録されていなかった 1900 年といわれている。横浜に住んでいたアメリカ人トンプソンが本国から取り寄せたスチーム・エンジン付軽便車スタンレー・ロコモビルが、日本の土を踏んだ最初の自動車とされている。なお、1901 年川田龍吉男爵がこの車両を購入し、日本人最初のオーナードライバーとなったと言われている」

 トヨタ自動車の発行する雑誌に寄稿された齊藤氏の研究成果は、同じトヨタ自動車が主催する博物館によって無視されてしまったことになる。これに憤慨しての抗議も少なくなかったという。その先鋒は、やはり当事者である齊藤氏だと考えたくなる。しかし、違っていた。
「抗議したことなど、私はありません。研究の成果や意見には、いろいろなものがあります。そうしたものが合わさって、全体が進歩していくものですからね。ほかの人の研究を頭から否定して、反対する考えなど私にはありません」
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パナール社のロゴ
世界初の自動車メーカー

 温厚な表情で、齊藤氏はわたしにいった。自説に固持して角つきあわせて議論してみても、生まれるのは無益な対立でしかない。それは時間の無駄でしかない。
 そう考えたのは、フリージャーナリストのは中部博氏も同じだったようだ。トヨタ博物館の展示内容を知って憤慨したものの、彼は抗議に執着はしなかった。そのかわり、皇太子献上車が実在していたことを証明したと同じ『自動車伝来物語』のなかで、中部氏はパナール&ルヴァッソールを追いかける旅にもでかけていったのである。
「フランスのパナール社で創業者の末裔に会って『日本で走った最初のクルマがパナール&ルヴァッソールだったことを、どう思う』って尋ねたら、『驚くに足りない』といわれてしまった。当時、向こうは世界中に輸出していて、日本だけが特別じゃないわけよ」

 いかにも拍子抜けしたといわんばかりの表情で、中部氏が語った。そのとき中部氏が会ったのは創業者であるルネ・パナールの末裔であり、パナール社の社長もつとめたことのあるジャン・パナール氏である。当時、78 歳のパナール氏は中部氏に、こう言ったのだ。
「日本で最初に走った自動車がパナール&レヴァッソールであったことを光栄に思いますが、驚きはしません。多くの歴史家が、ダイムラー・ベンツが自動車を完成させ、パナールが世界初の自動車メーカーであると認めていますが、1890 年代のパナールは世界最大の自動車メーカーでもあったのです。当時の年間生産台数は 100 台ほどでしたが、それでも世界各国へ輸出をしていました。ですから、多くの国で最初に走った自動車がパナール&レヴァッソールであることは当然といえば当然なんです」(『自動車伝来物語』)
 日本の研究者やジャーナリストが追い求めている答を、事もなげに断定されたのでは、中部氏でなくとも拍子抜けしてしまう。そしてパナール氏の言葉に、クルマ文化の歴史の違いを、まざまざと見せつけられるような気がするのは、わたしだけだろうか。向こうでは世界に向けて輸出していた時代に、いまだ日本でクルマは「初渡来」のものでしかなかったのである。

 日本に初めて渡来したクルマ、パナール&ルヴァッソールを求めて、フランスだけでなく、イギリス、オランダにも中部氏は飛ぶ。しかし、大きな成果をあげられないままに中部氏の旅は終わってしまう。その旅を押し進めたのは、意外にもトヨタ博物館だった。(以下次号)
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川田龍吉(1856 - 1951) :
 第 3 代日銀総裁だった川田小一郎の長男として土佐で生まれ、イギリスで造船技術を学んだ後、函館船渠(現函館ドック)を再建するかたわら、上磯町当別に別荘と農場をつくり農業の研究にも従事した男爵。
 「男爵いも」の生みの親としても有名。
パナール(PANARD)社 :
 フランスのレネ・パナールとエミール・ルバソールが 1889 年に設立した世界初の自動車製造会社。パナールは最初、ベンツやダイムラーのエンジン製造権をもって仕事をしていたが、1890 年自ら自動車製造を始める。
 自分の名前を車名にし、マークには自分のイニシアルと協同経営者ルヴァソールのイニシアルを組み合わせて用いた。1965 年シトロエン社に吸収された。
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