 |  |  | | | ミスター K こと、片山豊氏と会った | | DATSUN フェアレディの父と呼ばれる男 |  | 片山豊氏は、米国日産初代社長にして、フェアレディー Z の生みの親として知られる、日本最高齢のエンスージャストといって間違いない。エンツォ・フェラーリや本田宗一郎がエンジニアにして造り手なら、彼は、 1960 年 3 月、新天地米国にわたるや否や、スポーツカーの時代を見抜き、日本ではフェアレディー Z( S30 )で知られている「ダットサン Z カー」を米国で 100 万台以上販売した人物である。 驚愕するに、彼は、 92 歳にして現役を標榜し、フェアレディー Z と 20 年以上前に無理やり消されてしまった DATSUN ブランドの復活に、命をかけているのである。そして彼は、なんと、近ごろ NISMO に就職し、フェアレディー Z 、 DATSUN ブランドの復活のシナリオを描いているのである。
|  | 文 : 永山辰巳 写真 : 若林正幸
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|  |  |  |  |  |  | 永山辰巳 [VividCar 元編集長] |  |  |  | | 2006年、VividCarはプロフェッショナルなブロガーを目指します。創刊以来5年を迎え、ちまたのブログサイトとは一線を画するVividCarは、ネットワーク知識編纂をビジョンに確実にコンテンツを増やしながら未来のWebBookメディアを開発してきました。私たちはこれをWebフォトジャーナルシステム呼びます。生涯にわたり記録し続け知識を編纂する楽しみをごいっしょに。 |  |
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 |  |  |  |  | 片山豊氏 氏は、 92 歳にして、新たなクルマ造りを夢見る |  |
|  |  |  | ふらりと hoovs (フーブス)に現れたミスター K こと片山豊氏
昨年、私がまだ日産に在籍したころに最後のリサーチプロジェクトを二子玉川で行なっていた。その実験店舗 hoovs (フーブス)に知人といっしょにふらりと現れたのが、米国民からフェアレディー Z の父、「ミスター K 」と慕われ、今でも多くの人々に愛されつづけている、「ミスター K 」こと片山豊氏であった。氏は 1998 年、米国での自動車産業への功績を称えられ、 Automotive Hall of Fame に殿堂入りをされている(本頁、脚注参照のこと)。
残念なことに当日私は外出しており会えず、スタッフからの報告では、「妙なおじいさんが、日産の電気自動車と hoovs について、かくかくじかじかで、元気よく帰られた」とまったく要領を得ない事件となってしまった。仕方あるまい。彼を知るには若すぎたスタッフである。 ところで、片山氏は、 hoovs の取り組みを高く評価してくれたのだ。新しい自動車販売のアプローチは始まったばかりであったが、新天地米国へたった一人で挑戦した氏の眼力を持ってして、我々が「 10 年後には...」と考えていた、 e-Delaer プロジェクトを誉めてくださったのだ。 hoovs 、最後の日のクロージングパーティにもお立ちより戴いたのだが、その時も私は、体調を崩しており、彼に会うことは叶わなかった。 |
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 |  |  |  |  | hoovs プロジェクトのメンバー一同( 2000 年 4 月) この店で、日産の専門店構想が始まった。 ほんとは、スカイラインか Z でやりたかった。 |  |
|  |  | ジャガーとダットサン
VividCar を始めた直後、私は二度の遭遇のチャンスを失った片山氏に、ブランドイメージについてぜひ話をさせて頂きたいと考えていた。日本における輸入車のブランドイメージの形成については、以前から、疑問に思える部分があり、我々 VividCar では、輸入車をどのように見詰めていくか、彼の長い経験の中からヒントが欲しかった。
氏が、なんの予見もなく、あのフェアレディー Z を米国における主力車種と定めたはずがなかろう。私の直感では、氏が米国に渡った時代、 1960 年代、米国においてもっともインプレッシブな輸入車であった、ジャガーに由縁がありそうだ。 |
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 |  |  |  | | 1997 年頃、永山が渡米した際にユニバーサル日産に展示されていたものを撮影。このクルマを見て突然、ジャガーを連想した。 |  |
|  |  |  | EUREKA を訊ねる
片山氏は、自由が丘の中心にある彼のオフィス「 EUREKA 」に我々を案内してくれた。 そこはまるで、自動車に心を奪われた人の生涯のすべてがたたずんでいるようなオフィスだった。 私は畏敬の念をこめて、インタビューを始めた。
「三年ほど前、米国日産へ仕事で出向いたときに、ロスのユニバーサル日産の店舗に展示されていた、片山氏の愛車、黄色のダットサン 240 Z ( S 30 の G ノーズ付き、日本名フェアレディー Z )を見て、ハッと思ったんです。一瞬まるでジャガーのようにみえたからです。私も S 30 は子供のころの憧れのクルマですけど、ジャガー( E-TYPE )と比べて見たことは一度もなかった。片山さんは、 1960 年代初頭、米国でどんな夢を見たのですか?」
片山氏は、にっこりと笑って答え始めてくれた。
「僕は、ジャガーの E-TYPE に憧れていたんだ。だから、遠くからみたら、あんな奇麗なクルマと比べられるほどに美しく造りたかった。それと、クルマはやはりクーペだろう。オープンもいいけど、結局は行動範囲がせまくなるローカルなクルマだ。SP311も沢山売れたけど、大陸を横断出来るような、動く姿が野性的で、動物的なクルマが欲しかったんだ」 |
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 |  | |  | 「米国の自動車殿堂( Automotive Hall of Fame )」
現在、米国自動車殿堂にメンバー入りしているのは、この4人。名前の前の年数は、 殿堂入りの年を示します。
1989 年 本田宗一郎( 1909 - 1991 )「エンツォとならぶ20世紀最高のエンスージャスト」 1994 年 豊田英二 ( 1913 - )「工場の申し子」 1997 年 田口玄一 ( 1924 - ) 「米国を蘇らせた男」(タグチメソッド) 1998 年 片山豊( 1909 - )「ダットサン Z カーの父」 |
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|  |  |  |  | NISSAN Datsun 240 Z Long Nose ( HS 30 H ) [1973年式] アメリカで愛用していた片山氏の Datsun 240 Z
明るい黄色は、カリフォルニアでは、強烈な輝きがあります。 |  |
 |  |  | Automotive Hall of Fame http://www.automotiveha... 1939 年に発足した機関で、米国自動車業界に功績を残した人物を表彰してきました。 これまで、もちろん、ヘンリー・フォードやエンツォ・フェラーリも殿堂入りしてい ます。 |  |
 |  | |  |  | 50 歳になったらジャガーに乗りたい 40 歳になったときに、なんとなくだが、50 歳になったらジャガーに乗りたいとふと思った。そんなたわいもない憧れはどこから来るのだろうか?人生の中でのクルマ選びは、人それぞれの価値観の中で形成されるのだろうが、私なりの憧れのジャガーにアプローチしてみた
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