 |  |  | | | アウディ連覇と名門の復活 | | 特別編 |  | | 昨年に続いてアウディがル・マン 24 時間レースを制した。第 69 回目を迎えたこのクラシックイベントは例年になく荒れたコンディションに翻弄された。しかし、その状況下でもアウディが本命の強さを発揮して 1 - 2 位を独占、そしてなんと 71 年ぶりにル・マンにカムバックしてきたかつての名門ベントレーがいきなり 3 位に入り復活をアピールした。 |  | 文:高橋二朗
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|  |  |  |  |  |  | 高橋二朗 [フリーランス・モータースポーツ記者] |  |  |  | | 編集長の永山氏によってインターネットの世界を知った。あれから 10 年。いまや、インターネットなしには仕事ができないまでになった。再び永山氏がモゾモゾと動き出すというので、長いもの(永山もの)に巻かれることにした。執筆させてもらいつつ、楽しませてもらうことにした。よろしく。 |  |
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 |  |  |  |  | | 2001 年のスタート。スタート時には晴れていたのだが・・・ |  |
|  |  |  | スタート直後の大混乱
ご存知の方も多いが、ル・マンがなぜこの時期に行われるかといえば、夏至に近く、天候が比較的安定しているからだ。初夏のフランス・サルテ地方は、昼と夜の日格差は日本に比べればかなりあるものの、ヨーロッパ大陸の中では過ごしやすく、イベント開催にとってはベストなものだ。ところが今年のサルテの空は、とても気まぐれだった。雨が降ったり止んだり、それも一度雨が降り始めたら、バケツをひっくり返したような激しい雨が降り、それが混乱を引き起こし、コンディションが何度も変化ししてチームとドライバーをおおいに苦しめた。 |
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 |  | ベントレーの復活
その混乱の中でトップに立ったのがなんとベントレーだった。 70 年以上のブランクを経ていきなりトップを走行するといっても、ブリティッシュ・グリーンのボディーの下に隠されているハードウエアーは、アウディのそれを開発したエンジニアリングチームが製作し、エンジンもアウディのと同じものを搭載しているので、そのポテンシャルは推して知るべしなのだ。その後、アウディワークスが 1 - 2 体制を築き、序盤から揺るぎ無い 2 連勝への土台を固めていった。午後 6 時に再び雨が。テルトル・ルージュ、ポルシェの異なった各コーナーで豪雨となり、やがてコース全体がウエットコンディションとなって、 2 度目のセイフティーカーがコースインした。コンディションが困難なものになればなるほどアウディチームの強さが示され、そしてライバルは徐々に脱落していった。そして、 2 台のアウディの後ろをベントレーが追走するという展開となった。
猫の目のように変化するコンディションはサバイバルゲームの様相を呈した。レース序盤の混乱に始まり、時間を追うごとに次々とリタイヤリストに連なるマシンの数が増えていった。 |
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 |  |  |  | クライスラーのドライバーとして出場した近藤真彦と荒聖冶(左) 予選で大活躍を見せた童夢 S 101 (右) |  |
|  |  |  | 日本のコンストラクター
GT カーが主役であった時代を経て今や完全にスポーツカーがル・マンの主役。日本のコンストラクター童夢も 2 台のマシン、童夢 S 101 を投入、その一台がワークスアウディの中に割って入って予選 4 番手から決勝をスタートした。俊足を見せて、序盤 2 位で周回してみせるのだが、電気系のトラブルで 2 台ともに戦列を離れる結果となった。マシンとして日本からの参戦は唯一この童夢だけだったが、全クラスで 7 人の日本人ドライバーが参戦を果たしている。この中でトップ 3 と同じペーストはいかなかったが、クライスラーの 2 台が 4 - 5 位を着実に走って終盤へと駒を進めていた。この 1 台に近藤真彦と荒聖冶が乗り込んでいた。ゴールまで 4 時間を切り荒の走行中にエンジンブローしてストップしてしまった。荒は初出場ながらチームの予選アタックを任され、ルーキーで最上位の 16 番手のタイムを叩き出す大活躍。これによって彼は [ ルーキー・オブ・ザ・イヤー ] を獲得している。童夢と荒のジャパニーズパワーはその存在感を大いにアピースした。 |
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 |  |  |  | 昨年に引き続き、同じチーム、同じドライバーが優勝した。 これは 24 時間の耐久レースにおいては偉大なことだ。 |  |
|  |  |  | 悲しみを乗り越えた勝利
結局、レース序盤からのアウディ 1 - 2 体制を崩すことのできるライバルは現れなかった。 3 位のベントレーですらトップから15周の差をつけられていたのだ。優勝クルーは、 E. ピッロ / T. クリステンセン / F. ビエラの昨年と全く同じ面々だった。 2 年連続で全く同じチームクルーが優勝を飾るというのは 1986 年のポルシェのワークスチームが成し遂げて以来のものだ。
アウディの強さが際だった今年のル・マンは、同チームにとって嬉しいことばかりではなかった。それは、イベントの約 1 ヶ月前にテスト中にエースドライバーのミケーレ・アルボレートがタイヤのトラブルでクラッシュ、亡くなってしまっていたのだ。アウディの首脳陣はエントリーの取りやめも検討したという。しかし、精力的にテストを消化していたエースドライバーの死を無駄にすることなく連勝を誓うことこそアルボレートへの鎮魂となると決断、その目的を達成したのだった。 |
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|  |  |  |  | |  |  |  |  | Le Mans 24 h 耐久レースとして、世界で一番有名なイベント、ル・マン 24 時間自動車レースを 合計 6 回、半年の連載として綴って行きます。今年は、アウディが、1・2フィニッシュを飾り、二連覇を達成しています。
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 |  | |  |  |  |  | マックィーンのフィルモグラフィー(1980〜1966) 「かっこいい」映画スターのはしりで、ビートルズ世代にとってのあこがれだったマックィーンは、感化院、海兵、流れ者だった自身の経歴から、翳りがあり、無口で、自分の直感と肉体的な強さをもって逆境に立ち向かう一匹狼的な登場人物を作りだしてきた。
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 |  | |  |  | フランスの夢 ル・マンは、二十世紀初頭から開催七十回を数える。フランスの片田舎で人間と機械の限界に挑む伝統が一世紀の間、守られているのだ。
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 |  | |  |  | BMW Z4 3.0i SMG に試乗 大ヒットとなった BMW のロードスター「Z3」の跡を引き継ぐ「Z4」に試乗。そのデザイン故に最初は少し敬遠してしまったが、実車を見るとその思いは一変した。
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