file142
vivid_mark_s
VM298.jpgVM212.jpg
bu_homebu_weeklybu_indexbu_back
Page 1/1 |
vividsearch2
search_car2
search_article2
tab_star2001/07/24tab_endLe Mans 24 h
Le Mans 24 h vol.2
連載第二回
文:高橋二朗
tab_face
高橋二朗_プロフィール_写真Sicon_home高橋二朗
[フリーランス・モータースポーツ記者]
 編集長の永山氏によってインターネットの世界を知った。あれから 10 年。いまや、インターネットなしには仕事ができないまでになった。再び永山氏がモゾモゾと動き出すというので、長いもの(永山もの)に巻かれることにした。執筆させてもらいつつ、楽しませてもらうことにした。よろしく。
記事ブロック_画像_写真
ピットインして給油を行うメルセデス
記事ブロック_画像_写真
ピットからテレメトリーを監視し、無線でドライバーに指示を与える。
近代的な耐久レースの始まり 2

 近代の耐久レースは、 [燃費] がキーポイントとなったことは前回に記した。これは、新たなゲームの [しばり] でもあり、レースを行うための重要な大義名分だった。だんだんと環境問題などが表面化しつつあり、燃料を垂れ流すように使うレース、それも耐久レースではレースを行うための意義が必要とされたのだった。

 昔から耐久レースは、自動車メーカーの絶好の宣伝メディアであり、この [燃費] レースは、新たな自社製マシンの優秀性をアピールするのにとても良い場となったのだった。しかし、 1950 年代や 1960 年代のように市販車とレースに参加しているマシンがごく近かったのと違い、近代の耐久レースではプロトタイプ = 試作車のスポーツカーで闘われるようになってきた。だから選手権レースの名称も世界耐久(エンデュランス)選手権世界スポーツプロトタイプカー選手権シリーズへ変更されていった。

 レースはマシン、ドライバー、チームの総合力が勝敗を左右するのはスプリントレースでも耐久も同じだが、 1980 年代以降の耐久レースでは、走行中のマシンとドライバーをサポートする現場でのチーム体制がものすごく重要になってきた。C1 クラスの場合、 24 時間レースでは 2,550 リッターの燃料を使うことができる。燃料タンクのキャパシティーが 100 リッターだからスタート時に満タン状態であれば、レース中に 2,450 リッターを使うことができ、ピットインまでに燃料を使い切ったとして 25 回のピットインを行うことができる。使えるものは最大限に使って走ることが基本であり、ピットインして作業を行う時間も計算に含めル・マンでは 40 分くらいで 1 回ピットインして給油するのが通常だった。逆に言えば 40 分走行する内に 100 リッターを使い切る走行を行えばよいのだ。その走行状況を無線でマシンからピットのコンピュータに飛ばしてリアルタイムでスタッフがチェック、作戦を立てながら逐次ドライバーに指示してエンジン回転数を指示してレースを進めるようになっていったのだ。走行中にはハードウエアーのすべてがピットで把握できるようになり、ドライバー以上にマシンのことをエンジニア達がチェックできるようになっていた。
記事ブロック_画像_写真
カーナンバー 4 のランチャ LC2 - 83
 
ル・マンの主役達 2

ランチャ LC1 / LC2
 グループ C カーのレギュレーションが施行された 1980 年代は、ポルシェが圧倒的、絶対的な強さを示していた。 956 、 962 C によって 1982 年から 1987 年まで王座を独占した。しかし、 1980 年代の前半、果敢にポルシェに挑んでいったのが「イタリアから放たれた紅い矢」ランチャだった。

 このランチャは、ランチャ・ベータ・モンテカルロで耐久レースに参加した後、グループ 6 クラスのスポーツカーを投入してきた。重厚なイメージを受けるポルシェに対してランチャのスポーツカーは、切れ味の鋭い刃物のようだった。

 ル・マン以外でも日本では 1982 年の秋に富士スピードウエイで開催された WEC ・イン・ジャパン6時間レースでの闘いが印象深い。すでにグループ C カーレギュレーションに乗っ取ったポルシェとまだグループ 6 のランチャが予選から激しく闘った。クローズドボディーのポルシェ、オープンのランチャ。当時、マシン名はメインスポンサーのマルティニの名を冠して「ランチャ・マルティニ」といった。

 ドライバーのラインナップがこれまた凄かった。リカルド・パトレーゼ、テオ・ファビ、ピエルカルロ・ギンザーニ、そしてミケーレ・アルボレートのイタリアを代表するドライバーばかり。やがて、このドライバー達のすべてが F1 ドライバーとなって活躍したのだからどのような走りを披露してくれたかお分かりいただけるだろう。

 オープンスポーツカーがグループ C カーのレギュレーションに適合したクローズドボディーとなり、ランチャ LC1 として生まれ変わった。だが、その鋭さを失わないボディーデザインは受け継がれてた。この LC1 はランチャ・マルティーニに屋根をつけただけのような過渡的なマシンだったが、やがて、クローズドボディーを前提としたマシン、ランチャ LC2 - 83 が登場する。ワークスチームはこの LC2 - 83 を用いて参戦していた。
 グループ 6 と LC1 は 1.4 リッターと 1.5 リッターの直列 4 気筒エンジンににターボチャージャーを装着したパワーユニットを持ち、その軽快でレスポンスの良い運動性のが最大の武器だった。しかし、大排気量、高出力のパワーユニットを持つライバル達は、耐久性や燃費でも有利であり、 1983 年に参戦した LC2 からは、 V 8 の 2.6 リッターエンジンが与えられ、 1984 年からは、同じく V 8 で排気量をアップした 3 リッターでポルシェ勢と激しく闘った。

 ル・マンではイタリア人ドライバーを中心としたラインナップにこの特殊なレースで経験豊富なドライバーを加えたコンビネーションとなっていた。アレッサンドロ・ナニーニ、マウロ・バルディ、パオロ・バリラ等もそのラインナップに加えられた。それらイタリアン人ドライバーも F1 ドライバーとして活躍する。結局ランチャが勝つことはなかった。最高位は 1985 年の総合 6 位が最高位だった。
記事ブロック_画像_写真
このカラーリングは、 Ford GT 40 にも使われた。
今年のルマンでは Audi がこのカラーで出場した。
記事ブロック_画像_写真
デラニー役の S.マックィーンと
リサ役のエルガ・アンデルセン
Cinema [ Le Mans ] inside 2

 1983 年のこと。フランスを走るのが初めてだというのに、シャルル・ド・ゴール空港からよくもまあル・マンまでたどり着けたものだった。空港のレンタカー屋さんでもらった簡単なルートマップを片手に彼の地を目指した。実は、空港でバッタリ会った人から心強いアドバイスを受けたからこそめでたくル・マンまで行けたのだった。そのアドバイスをくれた人物は、故京極正明ダンロップ・モータースポーツ部長だった。住友ダンロップが本家ダンロップを買収したことで京極さんはダンロップのモータースポーツ部門のトップとなった。そのような人から教えをいただいたとは、ありがたかった。「なんや、ル・マンへ行くの初めてかいな。そしたらな、まずは、オルリーへ向かって走って、その次ぎにチャーターという表示が出たらそっちや。ええか、チャーターや。本当はシャルトルと言うんやがな、ローマ字読みしたらチャーターや。わかりやすいやろ。 A 11 の高速道路でチャーター過ぎたら、ル・マンの名前が出てくるわ。運が良かったら現地で会えるわ(笑)」と教えてくれた。そして、気がつくとユーノディエールのストレートを走っていたのだから運が良かった。

 さて、映画の話だ。主人公のアメリカ人ドライバーのマイケル・デラニーは、ル・マンの市街をポルシェ 911 (確かタルガだったと思う)で走っていた。ポルシェは、街の中心にある、サン・ジュリアン教会の下の朝市にさしかかる。ふと、花屋で花を買う女性を見つけた。これがヒロインのリサ・ベルジェッティー(エルガ・アンデルセン = スカンジナビア美人)だ。車から降り、ドアの横に立ったまま遠くから声も掛けずに見つめるデラニー。「リサ、君も来ていたのか・・・」(注:映画のプログラム解説文から)彼女の夫は、前年にここ、ル・マンで事故死していた。デラニーもけがを負った。しかし、 2 人は再びル・マンへ来ていた。彼女は、プレイボーイでならす他のドライバーと一緒だった。まあ、映画の最初は、ロマンチックな展開で、例のマックウィーンの表情が思案げで、声を掛けようか、どうしようか、やっぱり止そうという心の葛藤を演技していた。再び彼は車に乗り込み、サーキットへと向かって行く。最初のシーンとなったサン・ジュリアン教会の下にジャコバン広場があって、ここが車検場となる。予選日の前まで 2 日間ここに全参加車が運ばれてきて次々と車検受ける。その模様を誰でも無料で見ることができる。普段はただの広場だが、ル・マン 24 時間レースの車検となると人がごったがえす。なんと言ってもル・マン 24 時間レースはサルテ地方の一大イベントなのだ。フランス語のアナウンスも一種独特、これを聞くと再び 24 時間レースが始まるのだなと思う。この車検はこの映画には登場しない。

 デラニーは、ポルシェワークスチームのエースドライバーだ。カーナンバー 20 のポルシェ 917 。ガルフ石油のスポーンサードを受け、水色ベースにオレンジ色のラインが入ったカラーリング。ドライバーのスーツは、白ベースに左側にブルーとオレンジのストライプが縦に入る。左胸に Gulf」のワッペンがつけられている。デラニーは、耐火性の布でマスクをし、ブルーメタリックのジェット型ヘルメットを被る。 1970 年代の当初、フルフェイスのヘルメットはまだ普及していなかった。そして、目出しのフェイスマスクさえなかったのだ。しかし、マックウィーンがマスクしただけで格好良さがほとばしるのはなぜだろう。ヘルメットのベルトを締める仕草もこれまた格好いい。

 スタートを前にして、ピットに現れるデラニー。左手にヘルメットをプラプラ下げて、ファンの声援に軽く右手で応える。その歩き方は、大脱走の時に捕まって独房に入れられる時よりは胸を張って堂々としていた。当たり前か?!
tab_links_b
ACO
http://www.lemans.org/
Autotrend.com
http://www.autotrend.co...
ルマン歴代のポスターや様々なポスターの販売をするサイト。(英語)
DU MANS 24
http://dumans24.netfirm...
ココの方が若干割安。
SUNTORY SATURDAY WAITING BAR(東京 FM)
http://www.avanti-web.c...
1997 年にルマンの話で VividCar 編集長がラジオ出演しています。
recommend
サマリー情報_サムネール
Le Mans 24 h
耐久レースとして、世界で一番有名なイベント、ル・マン 24 時間自動車レースを 合計 6 回、半年の連載として綴って行きます。今年は、アウディが、1・2フィニッシュを飾り、二連覇を達成しています。
サマリー情報_サムネール
マックィーンのフィルモグラフィー(1980〜1966)
「かっこいい」映画スターのはしりで、ビートルズ世代にとってのあこがれだったマックィーンは、感化院、海兵、流れ者だった自身の経歴から、翳りがあり、無口で、自分の直感と肉体的な強さをもって逆境に立ち向かう一匹狼的な登場人物を作りだしてきた。
サマリー情報_サムネール
アウディ連覇と名門の復活
今年のルマンは、スタート直後の大雨により、近年まれにみる大荒れのレースとなった。
サマリー情報_サムネール
もう1つのルマン Vol.1
「近代的なレース」という側面からみたもう 1 つのルマンをお楽しみ下さい>
ルマン2_S1.jpg
2006 ルマン 24 時間レース(決勝)〜Audi R10 総合優勝 !!
第 74 回ルマン 24 時間レース決勝が 6 月 17〜18 日行われ、Car NO. 8 アウディ・スポーツ・チーム・ヨーストの Audi R10 がディーゼルエンジン初の総合優勝を果たしました。
ルマン1_S
2006 ルマン 24 時間レース(予選)〜Audi R10 予選 1-2 !!
今年もルマン 24 時間レースの季節がやってきました。世界 3 大レースと呼ばれるルマン 24 時間の臨場感をフォトレポートでお伝えします。
tab_note
ユーノディエールのストレート :
かつてのルマン名物ともいえるユーノディエールは、なんと 6 km に及ぶストレート。現在は途中に 2 つのシケインが設けられている。
Copyright (C) 2001-2007 VividCar.com. All rights reserved.
bu_homebu_weeklybu_indexbu_back
Page 1/1 |