 |  |  | | | ナショナル リゾネーターギター | | Masterpieces of The 20th Century |  | ブルースの神様 サン・ハウスが かき鳴らしたスチールボディのギターのこと |  | 選択、文章:山口 淳 撮影 :四宮義博 協力 :アキオ楽器
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|  |  |  |  |  |  | 山口 淳 [ライター] |  |  |  | | 北欧のミッドセンチュリーの頃の椅子やプロダクトに魅せられて、かれこれ 10 年になる。縁あって、雑誌『太陽』の北欧デザイン紀行特集(2000 年 12 月号)の手伝いをしたことがきっかけで、2001 年には池袋コミュニティカレッジの「北欧インテリア入門」という講座の講師を引き受けるという貴重な体験もさせていただいた。正直、後者については、慣れないおしゃべりに加え、体系的に勉強したわけではないので馬脚をさらすのではないかと冷や汗ものだったが、この度、その特集と講座がベースとなった書籍『太陽レクチャーブック 003 北欧インテリア・デザイン』(平凡社)という本が刊行された。主要執筆者は、僕を除けば、島崎信さん、柏木博さん、織田憲嗣さんといった北欧やデザインの優れた識者、論客ばかりで、北欧デザインに興味のある人にとっての格好な入門書に仕上がっている。ご高覧いただければ、幸いである。 |  |
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 |  |  | ブルースマンとスチールギター
1965 年に、ニューヨークでブルース史上、最も重要なレコーディングのひとつが行われた。 ブルースの神様サン・ハウスの名盤「 Father of The Delta Blues 」としてとして結実する録音がそれである。いったい 63 歳の老人のどこに、これほどのエネルギーが秘められているのだろう。圧倒的な生命力に溢れ、タフで、ドロ臭く、そしてどこか切ない。サン・ハウスの歌は彼が、それまで歩んできたろう決して平坦ではなかった人生の歩みそのままを、ありったけの力を込めて叩きつけたかのような勢いで迫ってくる。 時にボトルネック奏法のギター一本で、時にハンド・クラップのみで歌いあげられる骨太のブルースは、紛れもなく本物のデルタ・ブルースだ。おそらく、 20 年代、 30 年代も、世間の音楽や流行とは関係なく彼は同じスタイル、同じ奏法、同じ声で唄っていたに違いない。年齢を重ねることで、奥行きや深みを増し、当時とは印象は多少は違っているかもしれないが、彼の唄うのは、ただただストレートなデルタ・ブルースだ。 そのサン・ハウスの歌に欠かせない、いわば相棒とでも呼ぶべきギターが、ジャケットに映っている。ナショナルのスチールボディのギターである。 |
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 |  |  |  |  | ブリッジ周りには共鳴の為の小さな穴が 無数に設けられている |  |
|  |  | 2つの再発見物語
ナショナルやドブロのスチールボディのギターは、むろん、他の多くのブルースマンたちからも愛された。やはりデルタ・ブルース創生期の重要なブルースマン ブッカ・ホワイトのトレードマークといえばこのナショナルのスチールボディのギターだったし、スライドギターの魔術師と異名をとるタンパ・レッドはスチールボディのギターで喜怒哀楽を自在に奏でてみせた。ウォルター・ヴィンスン、あるいはジョー・マッコイもスチールボディのギターの愛用者だった。ハワイアン、ブルーグラスにもこのギターの愛用者は少なくない。また、ステージやレコーディングでは使われていないが、エレキギターの名手スティーヴィー・レイ・ヴォーンもプライベートでは 1930 年製のナショナルをにぎりボトルネック奏法でよく演奏していたといわれる。アルバム「 IN STEP 」のジャケットには一心不乱にナショナルを弾いている彼の姿が映っているが、あれは撮影用の小道具ではなく、お気に入りの私物が使用されているようだ。 しかし、僕にとってナショナルのギターといえば、やはり、真っ先に思い浮かぶのは、サン・ハウスを置いて他にはありえない。 リゾネーターという金属の共鳴板を埋め込むことでアコースティックギターの数倍もの音量を実現したリゾネーターギター、つまりナショナルのギターが誕生したのは、 1925 年のこと。チェコスロバキアからやってきた移民のドペラ兄弟とジョージ・ビーチャムという男が、このギターを考案したのは音量に優る管楽器相手では十分なパフォーマンスを発揮できなかったギタープレイヤーたちが、より大音量のギターの登場を切望していたからだった。むろん、エレクトリックギターなど、世の中に存在しない時代の話である。そして、ローリングトゥエンティーズと呼ばれた若々しく楽天的な20年代、そして、前代未聞の不況を経験することになる 1930 年代を通して、ナショナルのギターはアメリカのミュージックシーンにおいて大きな役割を果たすことになるのである。 しかし、我が世の春を謳歌できた時代は余りにも短かった。経営上のトラブルからナショナルを離れたドペラ兄弟が設立したドブロとの利権争いに加え、エレクトリックギターの登場で“アコギの革命児"ナショナルは 1942 年に倒産を余儀なくされてしまうからだ。 80 年代のヴィンテージギターブームで、その少々メリハリのない、しかし力強さと味わいのある音とモダンなルックスでナショナルが再び脚光を浴びるまで、多くのナショナルのギターは人生の辛酸をなめつくすような悲惨な日々を送ることになる。骨董品としての価値も認められず、ひどい場合は、寸断され庭で鉢がわりにされたというから、その待遇のひどさたるや推して知るべしである。 ここに紹介するのは、出自を同じくするドブロのメンテナンススタッフとして働いていたマクレガー・ゲインズとドナルド・ヤングというふたりの男が、 1988 年に旗揚げした新生ナショナルの、いわばレプリカ物である。ドブロでのメンテナンス業務を通じてナショナルの魅力に取り憑かれた彼らは基本的にはかつてと同じ伝統的やり方で、ハンドメイドで新生ナショナルの製作に当たっている。少数精鋭体制を頑なに守っているため、現在、ナショナルのギターは出来上がりを心待ちにしている世界中のファンをヤキモキさせながら、しかしマイペースで生産されているようだ。 チャーリー・パットンやロバート・ジョンソンと並ぶデルタ・ブルースのパイオニア的存在サン・ハウスは、熱烈な彼の信奉者たちが 1964 年に再発見するまで、 20 年以上行方がまったく分からなくなっていた。盟友パットン、ジョンソンを失い、ブルースに対する情熱を失った彼は、 1943 年頃、ニューヨークへと向かい、その後、音楽とは徐々に縁を切ってしまったからだ。 1956 年頃に相棒のウィリーが故郷で死ぬと彼はぷっつりと音楽そのものと縁を切ってしまう。本人の証言によれば、彼はニューヨークでは、駅のポーター、ギャングの雇われコックなどをして暮らしていたようだ・・・。 40年代に姿を消し、 1960 年代に再発見されて、素晴らしい録音を残したサン・ハウスと、やはり40年代に姿を消し、 1980 年代に再び脚光を浴び不死鳥のように蘇ったナショナル。ナショナルといえば、ついサン・ハウスを連想してしまうのは、おそらく僕が、2 つの再発見の物語を重ねて見ているからに違いない。 |
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 |  | 世界中で待ってる人がいる
新生ナショナル発足まで、ゲインズとヤングは、約 4 年の研究と試行錯誤を経て、復刻第 1 号スタイル O (オー)を完成させる。ギターの中には本文中でも触れているようにアルミ製のリゾネーターと呼ばれるスピーカーコーンが入っている。ブラスのボディはその音をさらに増幅させるキャビネットの役割を果たしているわけである。写真のモデルは、スタイル O とはデザイン違いのスタイル N ( 45 万円)。ナショナルのギターのほとんどはラウンドネックだが、このギターはスクェアネック。おそらく、伝統的ハワイアンのスチールギターのように膝の上に置いて弾くスタイルを前提に設計されているということなのだろう。輸入元 ( モリダイラ楽器 |
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|  |  |  |  | |  |  | B&W 英国製スピーカのグローバルスタンダード Refino & Anhelo(レフィーノ&アネーロ)から毎月選りすぐりのオーディオを組み合わせて夢のシステムを試聴する企画がスタートします。今回は、英国B&Wのスピーカを中心にLuxman、Accuphaseのアンプ、EsotericのCD/SACDプレイヤーの国産勢をピックアップしました。
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