 |  |  | | | ヒストリック・カーレース | | ヒストリック・カーレース |  | | フェラーリオーナーズクラブは、新しくオープンしたロッキンガム・モーター・スピードウェイの開会イベントに招待され、ちょっとした展示をすることとなった。 |  | 記事・写真:スー・スキナー レース写真:ポール・ジャーミン
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|  |  |  |  |  |  | スー・スキナー [ジャーナリスト/英国在住] |  |  |  | | 私の夢はフェラーリを所有することでした。1988 年に私は 308 GTB QV を 4 年落ちで手に入れました。そしてもっと車のことを知り、他のオーナー達にも会いたいと思い、フェラーリオーナーズクラブに入会。以来、何百回もイベントに参加し、クラブでの活動を楽しんでいます。1994 年に、英国フェラーリオーナーズクラブの運営委員会に参加。委員会に女性のメンバーが入るのは初めてであり、現在に至っても私が唯一の女性の運営委員です。 |  |
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 |  |  |  |  | 1964 年製の 250 G のレプリカで、 4 シーターの 250 GTE をモディファイして作られた。 |  |
 |  | この写真で、私はハンドブレーキの隣にある ギアレバーに手を伸ばしている。 |  |
|  |  |  | 集まったクルマ達
クラブの展示には選りすぐりのフェラーリ車の展示も含まれる。また、レース使用しているクルマもフェラーリ・オーナーズ・クラブのエリアに展示されている。 250 GTE を改造して有名なフェラーリ GTO や他のモデルに似せようという試みはもう何年も行われているが、特に 1980 年代から 1990 年の初めにかけては、これらのレアモデルの値段が何百万ドルにも跳ね上がったので、なおさらだった。
ロッキンガムの重役のデビッド・グレースは英国のモータースポーツ業界に長年にわたって関わってきた人物だ。 2000 年にデビッド・グレースは、以前ミハエル・シューマッハのベネトン F1 カーで使用された 650 hp のエンジンを積んだシングルシーターのクルマで 5 回目のブリティッシュ・ヒル・クライム・チャンピオンに輝いた。 2001 年度にデビッドはフェラーリ・オーナーズ・クラブの独自のレースシリーズであるピレーリ・マラネロ・フェラーリ・チャレンジ(PMFC)に F 355 チャレンジカーで挑戦する。 PMFC はロッキンガムの正式オープン前にここでレースを行い、今後もまたこのサーキットを使用するだろう。オープニングイベントとして行われたコイズ・オークション・ハウス主催の 1966 年以前のリヤエンジン、シングルシーターレースカーのコイズ・カップの際、デビッド・グレースはコイズの会長の所有する 1964 年ローラ TT 55 (1498 cc)でレースに出場した。このイベントには、元 F1 ドライバーのリチャード・アットウッドが 2 リッターの BRM P 261 で出場した。その中でデビッドは 5 着と大健闘だった。
私たちは自分の 250 GTE に乗ってロッキンガムの週末イベントに参加し、非常にバラエティ豊かなレースや、クルマや飛行機の数多くのデモンストレーションを大いに楽しんだ。 フェラーリの隣にはレース用、そしてサルーンのブガッティがあり、私は、元グランプリカーだったブガッティ・タイプ 35 A に座らせてもらうことが出来た。こういう小さなクルマにはずっと昔からあこがれていたのだけど、実際に乗ってみてあまりの狭さに驚いた。こういうクルマのドライバーは勇気があるばかりでなく、(なにしろレースする際の安全装置がほとんどなく、シートベルトすらないのだから)アクセルペダルとブレーキの間にほとんど隙間がないので、足も小さくなければいけないのだとわかった。私自身もかなり足は小さい方だけど、その私がそう感じたのだ。 |
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 |  |  |  |  | 1966 GTカーのレース。フェラーリ250GT SWB 。 E-type と AC コブラが、250 GTO レプリカ、 1961 年製アルファ・ロメオ・ジュリエッタ SZ 、 そして1965年製のアルファ・ロメオ TZ1 という 強豪を破ってこのレースを制覇した。 |  |
|  |  | サーキットの特徴は
ロッキンガムサーキットは英国のイースト・ミッドランドのコービー近郊の鉄工所跡に作られた。工事は 1999 年に始まり、 2000 年の秋、冬シーズンの天候があまりにも悪かったために工期が延びてしまった。サーキットやメインの施設はオープニング前に完成していたが、グランドスタンドや、一部のビルはまだ完成していない。すべての施設が完成すると、建設総費用は 5 千万ポンドとなり、英国で初めての全員着席式のモータースポーツ・スタジアムとなる。
ロッキンガム・モーター・スピードウェイは英国とアメリカのモーターレーシングのいいところを組み合わせて設計されている。 2.416 キロのサーキットはアメリカのオーバルレースコースの英国版といったところだ。オーバルの中心にいくつか短いコースが造ってあり、いわゆる普通のサーキットにもなる。これらのコースは組み合わせによりレイアウトが6通りに変化し、初期のクルマから現代のパワフルな GT レース、そしてバイクレースまで、様々なレースに対応することが出来る。オーバルトラックはスロープ(バンク)になっており、最高傾斜は 8 度をわずかに切っている。なので、ここが英国でもっともスピードの出るレーストラックになるはずである。 |
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 |  |  |  | ブルックランズ・レースのクルマ。 左から3番目がブガッティT35
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 |  | アイスクリーム製造業者のエルドラドが所有する アメリカン・スクーデリア・エルドラドチームの ために作られ、スターリング・モスが使用した。 |  |
|  |  |  | ブルックランズ・リバイバル・レース
1907 年、ロンドン近郊に英国自動車業界の最先端を行くテストコースとして開設された有名なバンク・サーキットのブルックランズの名を冠したブルックランズ・リバイバル・レースも 2 つ行われた。 出場したクルマは、優勝をさらったマセラティ 4 CI 、そしてマセラティ 4 CM 、 6 CM 、 T 51 ブガッティ 3 台、そして Type 35 タルガとアルファ・ロメオ・モンツァ 8 C だった。ロッキンガムでは、このほかにブルックランズゆかりのすてきなクルマやバイクの展示もあった。
有名なマセラティのエルドラド・スペシャルは、アメリカでのオーバル・レーシングの歴史を飾ったクルマの 1 台。この展示ではアメリカの本当の初期のダートトラックレースカーから、現代のレースカーまでを見ることが出来て、どのように進化して最近のパワフルなアメリカのストックカーレースであるナスカーウィンストンカップに至ったかという過程がわかる。このなかの何台かのクルマは週末のデモンストレーションやレースでも使用された。
ロッキンガムは今後、アングロ・アメリカン・ストックカー・レーシング(ASCAR)というアメリカのサルーンスタイルのクルマのレースに使用されることになる。 565 bhp のクルマはロッキンガムオーバルではきっと 290 キロ近くのスピードが出るはずだ。
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 |  |  |  |  | フェラーリ 246S のドライバー交代。 このフェラーリは、最高ラップをマークした。 |  |
|  |  | 多くのレースが開催
アメリカ、ヨーロッパのクルマ対決はこの週末のレースでも何度か見ることが出来た。たとえば、モンツァナポリスレースでは、モンツァサーキットの 2.5 マイルのコンクリートのバンクサーキットに見立て、 1957 、 1958 年のレースを再現した。 1950 年代のスポーツレーシングカーを集めたケンジントン・トロフィー・レースにもこの時代のクルマが 30 台出場した。英国ジャガー、オースチン・ヒーレー、そしてロータスが、ローラ、フェラーリ、そしてマセラティと対決した。フェラーリディーラーのオーナーである(フランク・シットナー)のグループはクーパー・モナコでレースを制し、 2 着は 1960 年製フェラーリの 246 S(2394 cc)、 3 着は 1955 年製マセラッティティーポ 61 バードケージだった。
ケンジントン・トロフィー・レースではそれぞれのクルマにドライバーが二人ずつで行われた。 1950 年代のレースでは、それが通常の方法だったのだ。一人がレースの初めに運転し、途中でもう一人に交代する。交代するための時間はあらかじめ確保してあるが、現在のF1レースの給油ストップと同じく、ピットインの時間は短ければ短いほど良い。
この週末に、ロッキンガム・モーター・スピードウェイは 1992 年 F1 と 1993 年インディ・カーでチャンピオンとなったナイジェル・マンセルによって正式にオープンした。さらにすごいことに、なんとマンセルはその場で、フィンランド人のケケ・ロスベルグの記録した英国最速記録を破ってしまったのだ。ロスベルグは 1985 年にシルバーストンで時速 249.6 キロを走りそのラップを記録したのだが、マンセルはチャンプカーで、ロッキンガムのバンクオーバルサーキットを初めて走り、いきなり平均時速 261.74 キロを記録した。
この新しいモータースポーツ施設には非常に感動した。ここはまったく新しいコースでありながら、初めてコースを訪れた人たちにもすごく熱心な雰囲気が感じられたし、レーシングチームからの暖かいサポートも感じられた。このレースコースは今後大成功していくに違いない。 |
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|  |  |  |  | |  |  |  |  | 英国人とフェラーリ Vol.1:英国フェラーリオーナーズクラブの活動とコンクールの様子。 Vol.2:英国での運転と楽しみ方を紹介。私たちのサーキット走行会の様子。 Vol.3:クラブでは、ヨーロッパ各地のサーキットを走るためのツアーも行っている。
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 |  | |  |  |  |  | スパ・フランコルシャン アルファ、フェラーリ、マセラティという伝説的な車が一同に会して歴史的なスパ・フランコルシャンのレース場でレースを行う。これこそが 2001 年 4 月の終わりに行われたスパ・フェラーリ・デイズのエッセンス。
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 |  | |  |  | 水しぶきを超えて 2004 フレンチカップ 今年も行われた、フレンチカップのレポートです。 TC1000(筑波サーキット コース 1000 )には、新しい設備ができたようです。雨模様のフレンチカップにはとても嬉しいオプションだったようですが、果たしてそれは?
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 | スターリング・モス :
|  |  |  | イギリスの国民的英雄である F1 レーサー。悔しくもワールドチャンピオンにはなれなかったが、1955 〜 1958 年は 4 年連続で 2 位という成績を残している。 |  |
 | ケケ・ロズベルグ :
|  |  |  | 1982 年に F1 ワールドチャンピオンを獲得したフィンランド人ドライバー。現在はミカ・ハッキネンのマネージャーとしても有名。 |  |
 | ナイジェル・マンセル :
|  |  |  | 何年もチャンピオンを取り損なったが、やっと 1992 年にチャンピオンを獲得したイギリス人。優勝かリタイヤかというキレた走りが魅力。 F1 引退後、アメリカの CART シリーズでもチャンピオンを獲得した。 |  |
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