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tab_star2001/04/18tab_endジャガーとダットサン
ミスター K こと、片山豊氏と会った
ダットサンの復活を夢見る
 「ダットサン Z の力は神秘的ともいえるほどに強力なのです。日産にとってダットサンは氏神様。その力を日本で復活させたい」。

 「エンジンは、 1800 cc か 2000 cc で十分。人間の五感を満足させることができて、これからの時代、そう、アジアの若者も、経済的に、そして走りに満足させることができる、そういうクルマにしたい」

 インタビューも後半になり、片山氏の語りも熱くなってきた。

 彼は今一度、クルマを世に出したいと語る。すでに、具体的なイメージまで彼にはある。 92 歳という年齢に、なんの支障も感じさせず、「あきらめずに進むことです。ゆっくり でいいから、やっていきたい」と。
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DATSUN フェアレディの父と呼ばれる男page1サマリー情報_サムネール
ジャガーは、フロントが長く、走っている時は、まるでチーターのようだpage2ジャガーEタイプ
ダットサンの復活を夢見るpage3S30Z_280
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永山辰巳icon_home永山辰巳
[VividCar 元編集長]
2006年、VividCarはプロフェッショナルなブロガーを目指します。創刊以来5年を迎え、ちまたのブログサイトとは一線を画するVividCarは、ネットワーク知識編纂をビジョンに確実にコンテンツを増やしながら未来のWebBookメディアを開発してきました。私たちはこれをWebフォトジャーナルシステム呼びます。生涯にわたり記録し続け知識を編纂する楽しみをごいっしょに。
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1936 年頃の多摩川スピードウエイでの若かりし頃の片山氏。
(後列左端の濃いグレーのハットとコートの人物)
クルマは、NL-76とNL-75。
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NL-75 Super Datsun Racer ( 1936 年)

エンジンは、 750 cc の DOHC で、スーパーチャージャーを英国から取り寄せて造られた。当時の資料には、 22 HP / 4000 rpm とある。
制作時には、工場にしめ縄を張って造られたと言うエピソードがある。
このクルマは、多摩川サーキットで優勝して商工大臣賞を獲得した。
この 2 枚の写真は、当時の日産が絵葉書にしたもの。
ダットサンの復活を夢見る

 片山氏が、日産に今一度大きなモータースポーツの波を持ってこようとしてることには大きな流れがある。米国における日産のレース活動への展開だ。今まさに、日産が、米国でのレース活動に積極的になりかけているというのだ。
 その面では、NISMOとの協力は、なくてはならないものとなる。

 「 NISMO を AMG にして、ダットサンを作るんだ」
 さらに米国では、 100 万台売った昔のダットサン Z は今も走り続けており、日本にあるダットサンのパーツを利用して、米国でのアフターサービスも考えているそうだ。

◇◆◇
 
 氏のモータースポーツ、スポーツカーに対する熱意の原点はいつなんだろうか。
 
 氏が自身の大事な本の中に差し込んでいた 2 枚の写真を見せてもらって驚いた。そこには若かりし片山氏がいる。場所は、多摩川スピードウエイ(伝説になってしまったスピードウエイであり、日本ハムグランド近く、読売巨人軍の多摩川を挟んで神奈川側に存在した)。
 このスナップは、右側の NL-75 が優勝したことを記念した関係者の栄光を納めている。日産のレーシングカーと共に多くの熱き思いを胸にスナップに刻み込まれた先輩たちがいる。
 氏は、レースに直接関わりながら、ブランドと商品開発、そして自動車を造ると言うことへの基本的なモチベーションを、実に 60 年間唱えているのである。
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私の日産における最後の数年には、モータースポーツに関する劇的な仕事があった。
それは「富士スピードウエイ」と日産の新しいスポーツシリーズに関するものであった。
氏には伝えることができてともて嬉しかった。私の経歴など足元にも及ばないが、同じ血が流れている気がした。
しかし、ガソリンエンジンがなくなろうとしているこれから時代、自動車はどんな感動を与えてくれるのであろうか。
インタビューを終えて

 インタビューは、 3 時間にもおよび、最初から最後まで、淡々とでも熱っぽく話す氏の情熱には心打たれるものがあった。なかでも、ブルーバード 410 のデザイナーでもあるピニンファリーナ氏との逸話や、氏の生涯を物語るさまざまなエピソードを聞かせて貰えた。 20 世紀最大の工業生産物であり、人間の心を揺さぶる「自動車」で遺業を成し得た人物に直接お話しが聞けて、ほんとに嬉しく思えた瞬間だった。
 
 日産というブランドが、ダットサンを復活させてこそ、今一度、王道に戻れる信念に抱く、片山氏に感動した一日であった。
 ありがとうございました。
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サムネール
編集部テスト

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