 |  |  | | | もう1つのルマン Vol.2 | | ルマンの主役達 |  | 高橋二朗氏によって連載された「Le Mans 24h」の記事は毎回「近代的な耐久レースの始まり」「ルマンの主役達」「Cinema [Le Mans] inside - ルマンと映画」という3つの章から成り立っていました。 この「もう1つのルマン」ではそのそれぞれの切り口ごとに記事を再構成しております。Vol.2 では「ルマンの主役達」についてクローズアップします。(編集部) |  | 文:高橋二朗
|  | |
|  |  |  |  |  |  | 高橋二朗 [フリーランス・モータースポーツ記者] |  |  |  | | 編集長の永山氏によってインターネットの世界を知った。あれから 10 年。いまや、インターネットなしには仕事ができないまでになった。再び永山氏がモゾモゾと動き出すというので、長いもの(永山もの)に巻かれることにした。執筆させてもらいつつ、楽しませてもらうことにした。よろしく。 |  |
|  |  |  |  |
 |  |  |  |  |  | 1988年のポルシェ 962 C ワークスチーム。 ドライバーはシュトゥック / ルドヴィク / ベル 予選はポールポジション、決勝は 2 位に入った |  |
|  |  | ポルシェ 956 / 926 C
スポーツカーレースの新時代の幕開けとなった 1980 年代。レギュレーションの変更とともに圧倒的な強さを誇ったマシンがあった。国際自動車連盟の新レギュレーション(グループ C )施行と歩調を合わせて開発されたそのマシンが速さと強さを示すのは当たり前と言えば当たり前なのだが、それを考慮しても、そのマシンは世界中で耐久レースのスタンダードマシンとなった。 ポルシェ 956 。同社のモータースポーツ部門があるバイザッハから送り出されたこのマシンは、市販レーシングカーとして大成功を納めた。当時バイザッハの頭脳、ペーター・ファルク博士の下、エンジニアのノルベルト・ジンガーが中心になってこのマシンを作り上げた。その外観はグループ C カーのレギュレーション施行直前、つまり 1981 年に優勝を飾っているポルシェ 936 のフロント周りを踏襲して、そしてクローズド・ボディーに大きなリヤウイングを持つ。第一印象としては決して軽快な感じは受けない。そしてスタイリングも鋭さを感じないのだが、その安定感は、圧倒的だった。耐久レースに必要なコクピットの安全性とドライバーの居住性も考えられた設計は、圧倒的な信頼感を得ていた。たとえば、ピュアレーシングマシンはそのミドシップにエンジンをマウントするのが常識的だが、そのエンジンを冷却するラジエーターの位置にもレース中のドライバーのフィジカル・コンディションを考えたものとなっていた。通常なら最も冷却効率の良いマシンのフロントにラジエーターを配置するのがエンジニアとしても定石のデザインとなる。しかし、そのためにコクピットの脇か下にウォーターパイプをまわさなくてはならなかったり、ラジエーターを通った熱風がコクピット内に回ってきたり、ラジエーター本体から伝導する熱が走行中のドライバーを苦しめることとなる。それを 956 ではコクピットの両サイドにラジエーターを配置することによって他のレーシングマシンに比べて暑さの面でドライバーを苦しめることが少ない。これは、ポルシェが長年空冷エンジン(大量のオイルでも冷却している)でレースを闘ってきたことのノウハウもプラスされているのは言うまでもない。夏前のレース、ル・マンでも日中は年によっては気温が真夏並に上昇してしまい、コクピット内の気温も 60 度近くまでになってしまうことがある。また、フロント部分にラジエーターがないことは、フロントに多少のクラッシュダメージを負ってもカウルのリペアーまたは、交換でレースを続行できると戦略面での強みもあった。 956 は、ドライビングキャラクターでは、弱アンダーステアーを示していた。耐久レースではこの「弱アンダー」がスタンダードなステアリング特性なのだ。オーバーステアーのレーシングマシンほどドライバーの神経をすり減らしてしまうものはない。スプリントレースなら乗り切ってしまうかもしれないが、ことル・マンでは、各ドライバーのスティント(担当)は約 1 時間。ナイトセクションでは 2 スティントを走行することだってある。その走行ではオーバーステアーのマシンなど乗ってられない。だから、弱アンダーのキャラクターが基本となった。 しかし、多くのプライベーターチームの手に渡った 956 は、ニュートラルステアーにするべくモディファイがくわえられることとなる。その多くは、フロントセクションにエキストラウイングを追加したり、エキストラフリップを多用した。 「アンダー」を消すために、ワークスポルシェはどうしたか・・。さすがにドイツのプライドの高いコンストラクターはエキストラウィングを付加してそのスタイリングを崩すようなことはしなかった。 956 の後継として送り出された 962 C は、ぱっと見何が変化したのか分からないマシンだった。基本的なシェイプを殆ど崩すことなく、フロントのセクション全体を数センチ短くしてノーズ先端からフロントウインドウに至る角度を 956 よりも大きくしたのだ、これにとってフロントセクションで得られるダウンフォースを大きくしてアンダーステアーの解消を実現したのだった。 ル・マンの現場でジンガー氏に 956 と 962C の違いを問うても「基本的に同じ」という答えしか返ってこなかった。それを、日に数度か繰り返してやっと [ うるさい小僧だ ] という顔して「ドアからフロントタイヤまでの長さが短いんだ。つまり・・・・」 と教えてくれた。 |
|  |  |  |  |  |  |
|
|  |
 |  | ランチャ LC1 / LC2
グループ C カーのレギュレーションが施行された 1980 年代は、ポルシェが圧倒的、絶対的な強さを示していた。 956 、 962 C によって 1982 年から 1987 年まで王座を独占した。しかし、 1980 年代の前半、果敢にポルシェに挑んでいったのが「イタリアから放たれた紅い矢」ランチャだった。 このランチャは、ランチャ・ベータ・モンテカルロで耐久レースに参加した後、グループ 6 クラスのスポーツカーを投入してきた。重厚なイメージを受けるポルシェに対してランチャのスポーツカーは、切れ味の鋭い刃物のようだった。 ル・マン以外でも日本では 1982 年の秋に富士スピードウエイで開催された WEC ・イン・ジャパン6時間レースでの闘いが印象深い。すでにグループ C カーレギュレーションに乗っ取ったポルシェとまだグループ 6 のランチャが予選から激しく闘った。クローズドボディーのポルシェ、オープンのランチャ。当時、マシン名はメインスポンサーのマルティニの名を冠して「ランチャ・マルティニ」といった。 ドライバーのラインナップがこれまた凄かった。リカルド・パトレーゼ、テオ・ファビ、ピエルカルロ・ギンザーニ、そしてミケーレ・アルボレートのイタリアを代表するドライバーばかり。やがて、このドライバー達のすべてが F1 ドライバーとなって活躍したのだからどのような走りを披露してくれたかお分かりいただけるだろう。 オープンスポーツカーがグループ C カーのレギュレーションに適合したクローズドボディーとなり、ランチャ LC1 として生まれ変わった。だが、その鋭さを失わないボディーデザインは受け継がれてた。この LC1 はランチャ・マルティーニに屋根をつけただけのような過渡的なマシンだったが、やがて、クローズドボディーを前提としたマシン、ランチャ LC2 - 83 が登場する。ワークスチームはこの LC2 - 83 を用いて参戦していた。 グループ 6 と LC1 は 1.4 リッターと 1.5 リッターの直列 4 気筒エンジンににターボチャージャーを装着したパワーユニットを持ち、その軽快でレスポンスの良い運動性のが最大の武器だった。しかし、大排気量、高出力のパワーユニットを持つライバル達は、耐久性や燃費でも有利であり、 1983 年に参戦した LC2 からは、 V 8 の 2.6 リッターエンジンが与えられ、 1984 年からは、同じく V 8 で排気量をアップした 3 リッターでポルシェ勢と激しく闘った。 ル・マンではイタリア人ドライバーを中心としたラインナップにこの特殊なレースで経験豊富なドライバーを加えたコンビネーションとなっていた。アレッサンドロ・ナニーニ、マウロ・バルディ、パオロ・バリラ等もそのラインナップに加えられた。それらイタリアン人ドライバーも F1 ドライバーとして活躍する。結局ランチャが勝つことはなかった。最高位は 1985 年の総合 6 位が最高位だった。 |
|  |  |  |  |  |  |
|
|  |
 |  |  |  |  | | 1984 年、アメリカの IMSA シリーズを戦っていたマシンを投入した。 |  |
 |  | | E-Typeの原形となり、ル・マン連勝の立役者である、ジャガーD-Type。 |  |
 |  | | 1956 JAGUAR XKSS Steve McQueen 所有 |  |
|  |  | ジャガー XJR 5
ル・マン 24 時間レースの舞台となるサルテサーキットは、第 1 回フランスグランプリの舞台だった。そして 1923 年から 24 時間レースが開催されて、現在に至る。レースの起源には諸説あるが、レースの本場であるヨーロッパでもフランスが最初、いやイギリスだと、いまだにやり合っている。そんなものだからイギリス勢が優位性をフランスに、強いては世界に示す絶好の場としてこのル・マン 24 時間レースに出場しないわけがなかった。 まず、 1924 年の第 2 回にベントレーが優勝、 1927 年から 1930 年まで 4 年連続で優勝し、黄金時代を築いた、そしてその後ラゴンダの優勝を経て 1950 年代に入ってジャガーが台頭してきた。数々のレースで活躍していたジャガー XK 120 というスポーツカーをよりレース用に軽量化、エンジン、操舵系を改良した XK 120 C を 1951 年のル・マンに持ち込んだ。これが、ジャガーの時代を築く魁となった「C タイプ」であった。その年、ル・マンデビューイヤーに優勝をさらい、 1953 年にも勝った。そしてレース専用に開発された「D タイプ」が 1954 年に投入されるのだが宿命のライバル、フェラーリの後塵を拝して 2 位でゴール。しかし翌年の 1955 年から破竹の 3 連勝を飾るのだった。ドライバーの背後に独特なバーチカルなフィンを持つ D タイプは、ベントレー以降、イギリスの威厳を大いにフランスに誇示したマシンだったのだ。 さて、 1950 年代以降ではアストンマーティンが気を吐くが、イタリアのフェラーリ、アメリカからはフォード、そして地元フランスから参加のマトラ、ルノーが首位を牛耳った。「D タイプ」に続く「E タイプ」はレースユースよりも高性能乗用スポーツカーとして開発されたものであったためにル・マンでこれといった成績を修められていない。 そして 1984 年になんとアメリカから出場?!したジャガーが再びル・マンのジャガー新時代を築き始めたのだった。アメリカで行われていたスポーツカーの IMSA シリーズに参加していた XJR 5 を持ち込んだのがプロジェクト 44 の中心人物ロバート・チャールズ(通称ボブ)・チューリアスだ。彼のル・マン参戦への夢をジャガーと共に実現した。コンベンショナルなアルミ・モノコックシャシーに V 12 エンジンを教科書通りのストレスメンバーとしたスポーツカーは 1982 年にプロジェクトがスタートして、 2 年後 IMSA の GTP クラスでアメリカから参戦を果たした。アメリカからとはいえ、ジャガーのロゴをつけたスポーツカーは注目を集めた。しかしながらレース序盤でトップグループの一角となったものの、徐々にトラブルなどで後退を余儀なくされた。この V12 エンジンは、 XJ 13 という試作車積まれてテストを繰り返した。このエンジンをチューリアスはアメリカのツーリングカーレースに引っぱり出した。やがて、 V 12 エンジンは XJS に積まれることになる。ビッグ・キャットと呼ばれたこのツーリングカーでジャガーはアメリカ、ヨーロッパのツーリングカーレースを席巻する。 ル・マンにおけるプロジェクト 44 の闘いをピット上のテラスから見守っていたジョン・イーガン、ジャガー会長の頭には、栄光をその手に奪還する構想がすでにあったのだろう。 ル・マンへの参戦は 1986 年からはヨーロッパで XJS を駆って活躍していたトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)に委ねられることとなった。トニー・サウスゲイトがデザインした XJR 6 は、 1985 年から世界耐久選手権シリーズに参戦、当時王者として君臨していたポルシェを脅かす存在となった。ブリティッシュ・グリーンに白のストライプ、そして JAGUAR と TWR 、そして DUNLOP だけのステッカーを張ったマシンが登場するや本家の登場を誰もが確認した。そして 1986 年には SILK CUT のスポンサーを受けた XJR 6 LM がサルテサーキットに現れたのだった。 |
|  |  |  |  |  |  |
|
|  |
|
|  |  |  |  | |  |  |  |  | Le Mans 24 h 耐久レースとして、世界で一番有名なイベント、ル・マン 24 時間自動車レースを 合計 6 回、半年の連載として綴って行きます。今年は、アウディが、1・2フィニッシュを飾り、二連覇を達成しています。
|  |  |
 |  | |  |  |  |  | Le Mans 24 h vol.3 ル・マンの連載第三回目のフューチャーされるマシンは「ジャガー XJR 5」。「栄光のルマン」インサイドストーリーはクラッシュシーンの撮影についてです。
|  |  |
 |  | |  |  |  |  | Le Mans 24 h vol.6 ル・マンの連載第六回目のフューチャーされるマシンは「マツダ 787 B」。「栄光のルマン」インサイドストーリーは自動車レースを題材とした映画についてです。
|  |  |
 |  | |  |  | もう1つのルマン Vol.3 「Cinema [Le Mans] inside - ルマンと映画」という側面からみたもう 1 つのルマンをお楽しみ下さい
|  |
|