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tab_star2004/02/09tab_end憧れのクーペを手に入れた
紳士の乗るクーペ、ランチア・アウレリア
私と熊井戸氏の出会いは 10 月のミッレミリアであった。氏が自分のアウレリアを私に描いてもらえないかとの話で引き受けたのが始まりだった。

ふたたび氏とお会いしたのはフレンチブルーやモーターショウを終え一息つけた 11 月も半ばのことであった。イラストを届けに群馬を訪れた時に今度は私からアウレリアの取材をお願いしたのだ。熊井戸氏の案内でガレージに回ると黒いボディのアウレリアがひっそりとたたずんでいた。
文・写真:きもだこよし
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きもだ こよし_プロフィール_写真Sicon_homeきもだこよし
[クルマの似顔絵描き]
3 月からルノー府中にて、メガーヌやルーテシアなどルノー車の、イメージイラストの常備展示ならびに複製画の販売をさせていただける事になりました。興味のある方は、是非ともいらしてください!
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[写真下]熊谷氏のスロットルレーシングカーコレクション
始まりはスロットカー

 熊井戸氏のアウレリアの原点は、スロットルレーシングカーというレールの上を走らせて遊ぶミニカーに端を発している。子供の頃から旧い車のボディを被せたスロットカーを走らせながら、いつかは本物を手に入れることを夢見ていたのだという。
 それから月日が流れ、子供の頃の記憶を忘れかけていたとある日、雑誌を読んでいた熊井戸氏の目にアウレリアが飛び込んできた。昔を思い出し、早速現地を訪れ、購入を決めたのだという。それから程なくしてアウレリアは群馬の自宅のガレージに収まることとなった。

 1950 年に発表されたアウレリア。当初はタイプ B10 というセダンのみであったが、翌 1951 年にマイナーチェンジと同時に GT と呼ばれるクーペが登場する。このタイプ B20 と呼ばれるクーペは、後にミッレミリアやラリーといった競技で、ランチアの名前を不動のものとする礎となっていった戦後最初の 1 台。その後カブリオレモデル等を増やし 1957 年まで生産される。
 熊井戸氏のアウレリアは 1952 年式、シリーズ 2 というモデルだ。

Aurelia GT (B20)     sr.2
エンジン         V6 OHV
排気量          1991cc
出力 (ps/rpm)       80/5000
ホイールベース (mm)    2660
全長/全幅 (mm)      4280/1540
右ハンドルの謎

 黒一色に統一されたボディと皮の内装。実はこの内装は、納車されてから手を加えた唯一の部分。この車、購入当初はバケットシートが装着されていた。しかし、ベンチシートであるオリジナルに思いが強かった熊井戸氏は一緒に渡されたオリジナルのシートを装着しなおし、その際にくたびれ、ほつれていたベロア地のシートを赤いステッチの入った黒皮へと張りなおした。

 ステアリングはオリジナルからナルディに換えられていたが、これは購入当初から付いていたものらしい。そこで気になったのはそのステアリングの位置、そう右ハンドルなのである。これは当時のイタリアの風潮にその理由があったらしい。正確にはこのシリーズ 2 までが右ハンドルであり、それ以降のシリーズ 3〜6 までは左ハンドルに直されている。
 この背景には、この頃イタリアでは「高級車=右ハンドル」という図式があったらしく、アウレリアもそれに準じたのではないだろうか。「高級=右」、当時はかなり英国製のものを意識していたのであろう。シリーズ 3 からのマイナーチェンジで、排気量の拡大と若干のサイズアップ( 2451cc 、全長 4370mm へと拡大しかしながらホイールベースは 2650mm へと 10mm 短くなっている)を境に左ハンドルへと直されている。
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[写真左]右ハンドルのシリーズ 2  [写真右]熊谷氏が黒革に張りなおした、ベンチシート
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 現代のホールド感たっぷりのシートに比べ、非常にゆったりとしたベンチシートはこの車の大きさにもかかわらず広々とした室内にみせている。

 そのイメージは後席に移ってからも変わらない。
この種のクーペは総じてお飾りである場合が多く、大抵は子供か荷物用であり、お世辞にも余裕があまりないものがほとんどである。
 しかしアウレリアはしっかりと 4 人分のスペースを持っていた。私の感想では天井こそ少々きつそうだが、それでも不満が出るという程ではない。足元などはシルビアより余裕があるのではないであろうか。そのリアシートの足下にあるレバーは、トランクのオープナー。このあたりの演出は現代にも通ずるところ。
 そうなのだ、アウレリアは大人 4 人が乗れる快適な高速 GT なのである。

 トランクはスペアタイヤを中心に抱く大きめのものだ。スーツケース 2 つぐらいは楽に飲み込むだろう。

 そして給油口もこのトランクの左端にある。フロントにはメッキが輝く盾をモチーフにしたグリル、これは現代のフラッグシップ“テージス”へと受け継がれている。




[写真上]実用的なシート
[写真下]トランクもまた、実用的な広さが確保されている。
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[写真上]アウレリアに燃料系はない。その代わりにフューエルキャップ裏のゲージで確認する。
[写真下]ブレーキの踏力の調整にも注意が必要。調整のためにボンネット裏には穴が開いている(写真上方に注目)。
紳士の乗るクーペ

 アウレリアを走らせる上で気をつけなければならない点が 2 つほどある。

 ひとつは燃料。といっても特別なものを入れるわけではない。整然と並んだインパネを見てもどこにも燃料計は存在しない。ではどこに?それは室内ではなく前述のトランクにある。フューエルキャップをはずすとその裏にゲージがついている。つまり動かす前に運行前点検として確認をして出て行かなければならない。あわててドタドタと出て行くとあとで大変な目にあわないともかぎらない。落ち着いてジェントルに走れといわれているようである。

 そしてもうひとつは整備上気をつけねばならない部分で、ブレーキ。このマスター部分にあるレバーは、片方が踏力の調整になっているらしい。したがってこれを下げたままにしているとブレーキはものすごく利きにくい。ボンネットの裏に穴が開いているのはそのレバーを上げたままにしておくためなのだ。

 あとの操作は今の車とそう大差はない。キーを捻りスターターボタンを押すとアウレリアのエンジンはあっさりと回りだした。

 ピニンファリーナの優雅なボディをまとった 2L 80 馬力のエンジンは群馬の峠道を何のストレスもなく軽快に走りぬける。熊井戸氏がアウレリアを気に入った理由にコラムシフトであったことを上げている。この種の車をほしいと思ったときに、ベンチシートとコラムシフトという図式が頭にありアウレリアは見事にそこにはまっていたのだという。当日、熊井戸氏のいでたちは仕事の合間に出てきたこともありスーツであった、私にはこのダーク系のスーツと黒のアウレリアがなんともよく似合って思えた。コンフォートな室内にあえて戻した彼の思惑が、ココにあるように思えたからだ。
 その一方ではずしたバッケット 2 脚は大事にリビングで保管されている、いつかの日かふたたび装着される日を待ちながら。もしまたこのシートが着けられるとき、それは熊井戸氏とアウレリアのカーライフの第 2 幕が上がるときなのかもしれない。
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[写真右]購入当初、装着されていたバケットシートは、リビングに。
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