 |  |  | | | イタリアの職人技 | | BBR Exclusive Car Models |  | 1984 年、自宅ガレージから出発したモデルカー製造会社は、今日、イタリアでも代表的なハンドビルド・モデルカー製造会社へと成長した。その成長の大きな要因は、プロトタイプ作りから最終製品までの工程が、全て手作りであるというこだわり。そして製品に対して決して妥協しないという姿勢であった。 操業開始からわずか 3 年後の 1987 年には、その品質の良さの噂を聞いたフェラーリ社から、フェラーリ社顧客向けプロモーション配布用として、モデルカーの独占的製造依頼を受ける。 BBR Exclusive Car Models 社が世界に認められた瞬間である。 |  | |  | |
|  |  |  |  |  |  | 北添正和 [] |  |  |  | | それまで MOVA だった携帯電話をようやく FOMA に替えました。カメラは 200 万画素になり、こうなるとますますデジカメの必要性を感じなくなってきた今日この頃です。 |  |
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 |  |  | 裏付けられた職人技
BBR Exclusive Car Models 社(以下 BBR )に対して、2001 年の夏には、編集員:小俣がイタリアにある BBR 本社に訪れ、社長のフェルナンド・レアーリ氏に話を伺ったことがある。
レアーリ氏によると、日本市場への販売金額は当時約 10 億リラ、同社全体の売上の 30 %にものぼるという話だった。そしてこの日本のほかに欧州やアメリカが主な販売市場となっていて、意外にイタリア国内のコレクターは少ないそうだ。 だが同社には、常に 1 年先までの注文が貯まっているということを聞いても、どのくらい世界的に人気があるのかということが覗えるだろう。 |
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 |  | 裏方に徹した本当の英雄
その BBR が送り出したモデルカーの中で、2000 年 F1 マレーシア GP をルーベンス・バリチェロと共に戦ったマシンがこれである。 ご存知の通り 2000 年のマレーシア GP といえば、F1 GP 最終戦の 17 戦目に開催され、冠スポンサーであるタバコ企業にとってもその広告を許されていた、数少ないおいしい大会であった。 当時、フェラーリがコンストラクターズタイトルを取るためには、どうしてもあと 3 ポイント欲しかったという事情を考えても、同レースで 3 位に入賞したこのバリチェロのマシンがもし止まっていたら・・・
この年、同僚 M・シューマッハーが年間個人タイトルを、フェラーリとしては 2 年連続のコンストラクターズタイトルを獲得した裏には、このバリチェロマシンの活躍があったのである。 |
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 |  | DINO の系統
そしてフェラーリといえばなんといっても創設者エンツォの存在は大きい。彼は 1988 年 8 月 14 日、90 歳でこの世を去ったが、その偉大な父エンツォの影響を受けて同じく自動車に興味を持った息子アルフレディーノ(ディーノ)が病死したのは、エンツォが 58 歳の時。 スクーデリア・フェラーリで働き、当時、新たな V6 エンジンの開発にもアイデアを出すほどの才能を持っていたディーノは、スポーツカーのデザインにも影響を与えていたと言われている。そのひとつがこの 1956 年、Beverly Trophy Race を戦った 750 Monza である。
BBR とフェラーリは、その土壌が同じだけでなく、モノ作りへの精神も同じなのだと感じる一台。 |
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 |  | 「ただの矢」は「金の矢」へと
エンツォだが、1920 年代には既にアルファ・ロメオのディーラー業をモデナで始めていた。エンツォはアルファ・ロメオのワークスドライバーも勤めており、その関係の深さが覗える。 その頃のアルファ・ロメオといえば、1925 年にミラノ・ショーで発表され、同社の市販車として初めてシングル・オーバー・ヘッド・カムを持った 6C1500 が代表的であり、おそらくエンツォのディーラーでも販売していたのだろう。
そしてこの 6C1500 が後に様々なラインナップを生み出すことになる。1939 年には 2,443 cc の排気量を持つ 6C2500 が誕生するのだが、その 6C2500 のなかでも、この 1948 年に新たに加わった FRECCIA D'ORO(フレッチア・ドーロ=金の矢という意味)と呼ばれるセダンは、通常の 6C2500 より最高出力を増大させた特別なモデルであった。
こちらは全体で 2,594 台生産されたその 6C2500 シリーズの中でも特別な FRECCIA D'ORO。さらに数少ない CABRIOLET である。
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 |  | 最大のライバルによるリストラ
そしてアルファロメオやフェラーリと同じく、イタリアで産声をあげ、自動車レースを経て世界に進出した自動車メーカーがこのマセラティである。 アルファロメオが 6C シリーズを市販していた当時、つまりエンツォがアルファロメオのワークスドライバーであった頃のマセラティは絶好調であった。特に 1930 年のマセラティは、ボビーペニチェで A・ルジェッリが、ピエモンテ女王杯でl・ファジオリがそれぞれ優勝し、その後のヴィットリオ・ヴェネトーカンシグリオではエースドライバーのボルザッキーニらが 3 クラスで優勝、更にコッパ・チアノでも前出のファジオリがアルファロメオをくだして優勝している。このマセラティのエースドライバーボルザッキーニは、エンツォと喧嘩別れしてきたフェラーリのエース、A・ヴァルツとのトレードで放出されるが、それでもこの年はマセラティが 2 度のイタリア・マニュファクチャラーズ選手権のタイトルを獲得し、アルファロメオ(フェラーリ)を圧倒的に凌駕したのである。
奇しくもこのスパイダーモデルのボディ・デザインは、ジウジアーロ率いるイタルデザインと、フェラーリのデザイナー・ピニンファリーナとのコラボレーションとなっている。1930 年のフェラーリとのレース関係を見つめなおすと、このスパイダーへの思いはまた違ってくることだろう。 |
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 |  | 週末の過ごし方
ここまで紹介した BBR Exclusive Car Models 社のモデルカーは現在 VividStyle で販売されている。もしこれを読んで自宅に飾りたいと思った御仁がいたら、訪れていただきたい。実車同様のクオリティを間近で楽しみながら、イタリアの職人技を堪能できるはずである。 そして願わくばこの車達の時代背景を勉強し、それを思い出しながら週末を過ごしていただきたい。あなたの週末をきっと有意義な時間へと変えてくれる。
VividStyle では BBR のモデルカーを特価セール中です。コチラからどうぞ。 |
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|  |  |  |  | |  |  |  |  | BBR 工場見学 あの素晴らしいクオリティをもった BBR の工場見学をさせて頂けることになりました。工場自体はけっして大きい訳でもなく、従業員数も 24 名程度という会社であの素晴らしい製品を作るのか見せて頂いてきました。
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